随談第530回 今月の舞台から

今月は歌舞伎座と三越の新派からとしよう。

歌舞伎座の納涼歌舞伎は第三部の売行きが圧倒的だそうだが、それはまあ、プログラムを見れば当然予測されたところだろう。お目当ての『乳房榎』は歌舞伎座杮落し直前の昨年三月に赤坂ACTシアターで現メンバーで初挑戦し、今度はニューヨークから凱旋公演というのだから、まったく世の中変わったものという他ないが(まずサンフランシスコに「上陸」し、各地を公演して回っていよいよニューヨークに乗り込む、などという昔懐かしいような旅公演ではなく、ピンポイントでニューヨークへ降り立って、サッとやってサッと帰ってくるというこの身軽さ!)、しかし思えばこれも、亡き勘三郎がそれだけの地歩を築いてあったればこそだろうから、これも誰(た)が蔭、親父さま、と言うまでもあるまいが勘九郎・七之助はじめ一同、親の恩に感謝しなくては。

私としては、このメンバーでの歌舞伎座上演が実現できたことを喜びたい。番付を見ると、「訪米歌舞伎凱旋記念」の他に「三世実川延若より伝授されたる十八世中村勘三郎から習い覚えし」という、足引きの山鳥の尾のしだり尾の如き、柿本人麻呂も真っ青という長々しい詞書きがついているが、延若から伝授を受けたということをこういう形で明記・明言したことを、私は嬉しく思う。このフェアな姿勢を今後もくれぐれも忘れないでもらいたい。

今更、いちいち評するにも及ぶまいが、勘九郎は、ことに正助が、ときにハッと、というか、ぎょっと、というか、するほど勘三郎をよく写していて、時々、勘三郎そのものを見ているような錯覚に陥る。声柄とか肉親だからとかいうレベルを超えて、早変わりで三次なり重信なりから変って出る、その微妙な間が、そっくりそのままと言っていい。これは偉とすべきことであろうし、少なくとも今は文句なしだが、しかし一方、こんなに似てしまっていいのだろうか、などと余計な老婆心まで駆り立てられる。

七之助のお関、獅童の浪江、どちらも当然ながらACTシアターの時より手に入っているが、半面、七之助には初々しさがやや薄れ、獅童には自分流が色濃くなったような気がする、というのはままありがちなことで、仕方がないところなのかもしれない。獅童はこういう色悪の姿恰好はなかなか悪くないが、お関を口説くところなどあまりに直截過ぎないか、と、これは前回も「演劇界」にも書いたことだが、もしかすると敢えてそうしているのかも知れない。よく言えばハードボイルド、有体に言えば、曲がない。

大詰の仇討の場を蹴(く)ったのは時間の都合だろうが、代りに勘九郎が四役目として円朝で出て高座の口演で締め括るのは『大西版・牡丹灯篭』などでもよくやった手でそれ自体は結構だが、「円朝」であることにこだわってか、「伊藤侯」だの「汽車」で大陸横断しただのと言うのは、却って時代錯誤を招くだけでなく、今回のこの上演の時代、いや時間設定の土台を揺るがせる大ミスである。再三幕間に登場するつなぎの説明役がスマホを操っているように、「現代」いや「現在いまこの時」でよろしい。いや、そうでなければいけないのだ。だからといって「円朝」でなく「喬太郎」にしなくては?などと考える必要はないのであって、勘三郎が野田秀樹と組んで「野田版」の『研辰』だの『鼠小僧』だのを作ったりしたことの意味も、煎じ詰めれば同じところへ行きつく筈だ。いまこのときこその歌舞伎、である。(ところでその幕間のつなぎ役だが、ニューヨーク仕込みだそうだが、変てこな英語を交えたりするのはご愛嬌としても、とにかくもうちょっと粋とかスマートとは言わずとも、背中がむずがゆくならないレベルでありたい。あれではお江戸の芝居ではない。)

ところで『乳房榎』に、三津五郎以下今月の出演者全員揃っての『勢獅子』と来れば、人気の上ばかりか、出し物の上からも第三部が一番「納涼」らしいのは確かだ。巳之助が勘九郎と二人で仕抜きの獅子舞をしているのを見ながら、ようやくここまで来たなあと、しばし感慨に耽った。第一部で『龍虎』を曾祖父八代目三津五郎以来、大和屋四代で踊ったことといい、己之助にとって今回の納涼歌舞伎は深い意味を持つことになるだろう。

三津五郎の鳶頭は言うも更なり、橋之助の見伊達の良さというのは、つくづく、いい役者なんだがなアと改めて思わないわけに行かない。これほど、柄と言い容子と言い、歌舞伎役者らしい役者ぶりというのは、それだけで文化財になってもいいぐらいのものなのだが、もしかするとこの人、生まれてくるのが半世紀ほど、いやもっとか、遅すぎたのかも知れない。やれ肚だの、まして心理だのと、やいのやいの言われなくとも済んだ時代に生まれ合わせていたなら、この人はもっと幸福であったに違いない。

そういう橋之助だからなお、久しぶりの『輝虎配膳』に期待したのだが、そうしてみずから語るところを仄聞するに、十三代目仁左衛門から嘱望されての役との由と聞けば尚更なのだが、その願いの達成度は七分目、という処か。もっとも今度の『輝虎配膳』が生煮えなものに終わったのは橋之助一人の責任ではない。どの役もそれなりの適役を集めてあるのだが、みなそれぞれに手探りで役を撫でさすっている状態から抜け出せていない。稽古不足、でもあるだろうがもうひとつ、この手の芝居は、どれだけドンピシャリの仁を持った役者がツボを押さえた芝居が出来るかにかかっているわけで、思えば十三代目仁左衛門の輝虎、二代目鴈治郎の越路、歌右衛門のお勝、勘彌の直江山城、芝翫の唐衣という顔を揃えることが出来た昭和四十七年一月の歌舞伎座などというのは、まさにあれは『輝虎配膳』上演史上の奇跡のようなものだったということになる。もっとも上演リストをつらつら通覧しても、あれは夢のような別格であって、前回平成17年6月の梅玉・秀太郎・時蔵・歌六・東蔵というのだって、それなりにちょいとしたものだった。(五人とも皆健在であるのは頼もしい。)

上演史を見ると、十三代目仁左衛門がくり返し手がけていなかったらこの芝居は疾うに廃絶していた可能性があったことが推察できるが、思うに上演時間46分という現在の上演台本もまた、十三代目が小一時間で上演できるように切り詰め、整理したものと推測できる。つまり、最小限必要なことはセリフなり竹本なりに一応なりとも盛り込まれているのだが、今日の観客にそれだけで芝居の筋から綾から趣向から、理解し鑑賞しろというには、ちとバリアが高すぎるとも言える。もう一度、当代仁左衛門などがそこら辺りにひと工夫あった上でつとめてくれたなら、絶滅危惧演目から脱却できるかもしれないのだが。いや、わが橋之助にだって、それを期待して何不足があるだろうか?

今度の三部の内、どれがお薦めですかと問われて、まあ常識的にみて「安全」なのは第三部だろうが、観劇経験がある程度ある人ならむしろ第二部を薦めたいと答えた。『輝虎配膳』だって、「歌舞伎」好きなら、「歌舞伎」の愉しみに泥んだ人なら、それ相応に面白いと(インタレスチングであると)思う人も必ずしも少なくはないのである。

加えるに『たぬき』である。三津五郎のセリフを聞いているだけで、これが芝居なのだと得心する。いや、安心する。いろいろなタイプの芝居があってもちろんいいのだが、何といっても土台はセリフであって、ハムレットの昔から芝居は「言葉、言葉、言葉」なのである。ということを、三津五郎を見ていると、いや聞いていると、改めて思わせられる。大佛作品の中でも、この『たぬき』が一番、作者が自然体で書いている作品であろう。あの柏屋金兵衛という人物は『帰郷』の守屋恭吾と同類の人物、すなわち大佛次郎の分身なのだ。ここにあるのは大人の芝居を見る快さである。結局、見終わっての結論も、今月の私のお薦めはこれということになる。

それにしても、ここでも勘九郎が、こんなに親父そっくりでいいのだろうかと心配になるくらいに、セリフの息なり間なり、勘三郎本人が出てきたような芝居を見せる。

第一部は、例年、一番初心者向きというか、予備知識なしの無手勝流でもわかるような演目を並べるのが通例のようだが、『恐怖時代』も『龍虎』も、なるほど予備知識なしでもOKの作に違いはない。(それにしても今回の納涼歌舞伎は、上演頻度という観点からするなら超低空飛行のようなもので、筋書巻末の上演リストを見ると六演目が六頁に収まってしまう。初心者にわかりやすい演目を選んだら上演頻度の低いものが集まったというのは、考えてみると、皮肉とや言わむ想定外とや言わむ、真面目に考えてみるに値することかもしれない。)

『恐怖時代』は私としても見るのは三回目(他に日生劇場で浅岡ルリ子がやったのもあったが)、その割には印象が強いのは、むかし谷崎に熱中していた頃、まず脚本を「文学」として読んだせいかもしれない。旧新橋演舞場で花形歌舞伎をやっていた頃、一度出たことがあって、いまの田之助が梅野で、伊織之介に切られると臓物がぞろぞろ懐から出てきたのを覚えている。(この時の伊織之介は澤村精四郎だったとばかり思っていたら、今度上演リストを見て現・菊五郎だったのを知った。こういう記憶違いというものは、やはり気をつけないといけない。)

もう一回、昭和五十六年八月だったということも今度確かめたが、武智鉄二さんの古稀の記念に歌舞伎座を一日借り切って延若の『俊寛』とか、武智歌舞伎として音にのみ聞いて実際には見たことのなかったようなものをいろいろ見ることが出来た最後に、当時扇雀の坂田藤十郎の伊織之介、歌右衛門のお銀の方、十三代目仁左衛門の春藤靭負、二代目鴈治郎の珍斎、富十郎の玄沢その他その他という豪華配役で見たのが、何と言っても壮観であったが、但し珍物ともいうべく、一回だけの上演だから皆々セリフは怪しげだし、鴈治郎の珍斎などというのは、どこまでが演技でどこからが忘れたセリフをごまかすための「間」なのか不分明なところが絶妙、という、まあそういった名演技の数々であった。申し次の侍の役の某優が、出てきて坐った途端に絶句、まわりはエライ人ばかりだから誰も教えてくれず、さて、一分以上は優にあったであろう(少なくも三分ぐらいには感じた)、あんなに長い絶句は後にも先にも見たことがない。だがそのとき武智氏少しも騒がず、身じろぎもしないでじっと舞台に目をやったままだったと、近くの席から「観察」していたという知人から、後で聞いたっけ。

         *

三越劇場の八月の新派公演がどうやら定着したかの感があるのはめでたいが、『狐狸狐狸ばなし』はまあ、どうなりとしこなせるだけの腕を持っている面々だからよしとして、どうかなあと案じた『蛍』が、やはりむずかしかった。なかなか良くやっている、という評も書いて書けないことはない。少なくとも、みんなよく頑張っているね、と激励してあげるのは少しもやぶさかではない。それだけのレベルの舞台であることは間違いない。

として、さあ、という話である。久保田万太郎の戯曲の言葉、などと新劇講座みたいなことを言うより先に、もうあゝいう言葉遣いで日常を送っていた人たちというのは、「種」としてもはや絶滅してしまったのだということを、改めて思い知ったということである。つまり、そういう、「むかしの東京」の市井の人たちの日常の言葉の上に万太郎戯曲というものは成立していたのだということである。そのリアリティ。そんなことは今更言うまでもない、それはそれとして、万太郎の戯曲というのは、『蛍』という作品は良いものではないか、という論法ももちろん成り立つ。成り立つどころか、もうこれからは、その手で行くしかないのかも知れない、というのが、今度の舞台を見ての、私のやや絶望的な感想の一方の極にあるものである。(現に、新劇の人たちは既にそういうやり方でやっているのではあるまいか。だが、新派でそれをやったのでは・・・という、これは話である。)

私もこの芝居をそんなに数多く見ているわけではない。むしろ、先代八重子と大矢市次郎と柳永二郎とで前の演舞場でやったのを見ることが出来てよかった、などという程度の端くれに過ぎない。とはいえそれは、まさに「言葉、言葉、言葉」の芝居であって、幕切れに、若き日の波乃久里子が今度瀬戸摩純がやっている小娘の役で出てきて、八重子のしげと行き違う、あの瞬間の、「と胸」を突かれた(という表現も、もう近頃聞かなくなった)小さな鋭い衝撃というものは、いま思っても、これぞ万太郎芝居の真骨頂というものだろうと確信している。大矢もさることながら、柳永二郎の重一のせりふというものは、まさに、戦前の東京の市井の人間の言葉であって、言葉遣いだけでなく、声の錆びや、言葉を選ぶ間や、調子や・・・といったさまざまなものが縒り合された上に成り立っているものだった。

翻って、ついしばらく前、そう、(コーツト、というのが、こうした、ちょっと考えをまとめようという場合に出る合の手であって、当世の人はこういう場合、ナンダロウ、というのであるらしい)二,三〇年前までは、つまり昭和といった頃までは、東京に古く棲む一定の年配の人たちから、こうした物言いを聞くことは稀ではなかったと思う。あゝこの人は東京の人だなあ、と懐かしく思うような初老の紳士とか町場の人たちである。

栄吉の月之助も重一の永島敏行もよく頑張っている。その苦心、努力を察すれば、無碍なことは言いかねる。波乃久里子に至っては、久里子自体が絶滅危機に瀕した人間国宝である。最後の人である。しかし正直に言うなら、久里子を見ながら、私はその胸中を思い遣らずにはいられなかった。絶望? まさか?

《蛇足》それにしても、月之助にしても永島敏行にしても何てデカイんだろう。三越の舞台の寸法からすると、ガリバーが出現したようだ。

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