随談第535回 今月のあれこれ

今月というより、このところしばらくと考えると、それにかこつけて(過去付けて)なつかしい名前が引き合いに出されるということがいろいろあって、私のような追憶を喰って生きている、あるいは過去の記憶を飯の種にしている(!)ような者にとっては、オヽと叫び出したくなるようなことが多々あった。

中日の山本昌が史上最多年齢で勝ち投手になったというので往年の浜崎真二が引き合いに出される。テニスの錦織選手の活躍のお蔭で、熊谷一也だの清水善造だの佐藤次郎だのといった名前が引き合いに出される、といった具合である。もっとも、浜崎は確かにこの目でみているが、テニスの3選手は戦前の、まだ古き良き時代といって差支えない頃の人だから、チルデンというアメリカの強豪と対戦した折、相手が滑ったか転んだかしたときに、武士の情けで緩い球を返してやったという「スポーツ美談」を読んで知っていたに過ぎない。この3人のうちの誰かの手記が6年生の国語の教科書に載っていたが、先生がこういうことには疎い人で、これ、誰のことかしらね、という調子だった。佐藤は帰国途中の船から身を投げて死んだが、熊谷も清水も戦後まで健在だったのはリアルタイムで覚えている。

浜崎はそれに比べれば、体躯風貌までよく覚えている。ひと際の小兵で、おそらく150センチ代だったろう。もっとも、投手としては、まあ時には登板したという程度で、記憶としては阪急ブレーブズの監督としての方がはるかに鮮明である。同じように40過ぎまで監督兼任の現役で、阪神のエースだった若林の方が、投手としてはるかに忘れがたい。それにしても、こちらが子供だったせいだけでなく、二人とも、山本よりはるかに年取って見えた。浜崎など老人のように思えたから、今度の山本がその浜崎の年齢を越えての記録達成というのが何となく腑に落ちない感じだ。

怪物の新入幕というので引き合いに出された若秩父のことはこの前書いたが、旭天鵬がこれも史上最多年齢で白星を挙げたというので、まず名寄岩が出てきて、これはもうよく覚えているが、次いで藤ノ里と能代潟という名前が出てきたのには、さすがに恐れ入った。これも最前のテニスの3選手と同じく、こちらが生まれる前に活躍した力士だから、名のみ知っていたに過ぎない。しかし能代潟は大関まで行った名力士伝中の人として、その名はごく子供の頃から聞いてはいた。藤ノ里は、藤里まゆみというSKD出身の女優の名前と重ねてなんとなく優形の相撲取りかと思っていたら、後に写真を見るといかつい禿頭力士だったのを知った。相撲界の前進座みたいな存在だった天龍一派に参加し、解散後復帰して双葉山時代まで取った力士という。

他愛のない話が続くようだが、実はこうした、他愛があろうがあるまいが、さまざまな連想の連なりが記憶を支えているのであって、よく、日記やメモを綿密につけているのだろうと言われるが、むしろ、そういうものをつけないからこそ、些細なことをいつまでも覚えていられるのだ。要は、なんらかの興味の糸でつながっているから、何か一つ、きっかけで表に浮かび上がれば、それからそれと蘇ってくるのである。

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NHKの朝ドラの「マッサン」とうのがなかなか面白いが、あの中でヒロインの女優がスコットランドの民謡を口ずさむのがなかなかよく利いている。夕空晴れて秋風吹き・・・という歌詞で知られた「故郷の空」という歌は、替え歌として、誰かさんと誰かさんが麦畑・・・というのが、なんとなく戯れ唄めいた感じで、つまり学校では教わらない民間伝承の歌詞として、子供の頃から聞いていたが、実はこちらの方がロバート・バーンズの原曲の詩に基いている。つまりこちらが本家で、家元のような顔をしている「夕空晴れて」の方は文部省制定の日本製なのだが(それにしても「故郷を離るる歌」とか何とか、あのころのあの手の歌というと故郷離脱者の思いを歌った歌が実に多いのは面白い)、ヘルシンキのオリンピックというのは日本が戦後初めて参加した大会で、ガーガーガーガー、雑音の彼方から聞こえて来るラジオの中継放送通じて小学生だった私が最初に知ったオリンピックとして、後のどの大会よりも懐かしいが(東京大会などメではない)、ダ・シルバというブラジルの三段跳びの大選手がいて、日本びいきで、俺は日本の歌を知っているといって「夕空晴れて」を歌ったのが、ガーガーピーピーいうラジオで聞えてきたのが、いま思い出してもなんとも言えない気持ちになる。人間の存在というのは、つまるところ、こうした(他人にとっては取るに足らない)記憶が支えているのではあるまいか。

ところで「マッサン」だが、ヒロインの外国女性を見つけてきたプロデューサーが殊勲の第一、中島みゆきの主題歌が殊勲の第二であろう。もっともこれも、彼女を起用したプロデューサーの功の内か。独特のクセの強い歌いっぷりも、あれだけ素っ頓狂も度が外れるといっそ悪くいう気にならないのが一得、一種豪快の風が歌の内容に適っている。名曲と呼んで然るべきであろう。癖が強いと言っても、発音は明瞭、一度聞いただけで歌詞がよくわかる。メッセージとしての機能と意味をちゃんと心得ているのがプロフェッショナルの仕事らしくて気持ちがいい。(前にも書いたが「アンと花」はついに最後まで歌詞が聞き取れないまま終わった。ちゃんと聞えさえすれば結構いい歌であったろうに、独りでよがっているかのようなあの歌唱は、所詮アマチュア芸であったというべきだろう。)

いまのところ、演出上気になることもさほどなし、そういう話はもうちょっと見てからまた書こう。

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と、NHKを大分ほめたが、今度はイチャモンをつける。夜中に放送する大相撲の「幕の内全取組」の放送時刻が、今度の九州場所は全日、深夜午前3時40分だった。前にも書いたが、こういう時間設定をする担当者は、相撲の放送など見る奴は真夜中に寝付けなくて悩んでいる高齢の爺イに決まっているという「思想」の持主に違いない。若い担当者から見ればかく言う私も爺イに違いなかろうが、これでも朝は(勤め人ほどではないにせよ)ちゃんと起床し、外出・在宅は日によって違うが、とにかく日中から仕事をしている人間として、放送が終われば午前4時を回っているというのでは翌日に差支えざるを得ず、非常に困窮する。(私のように芝居を見るのが仕事の者は、寝不足だからと言って開演中に居眠りするわけには行かない。)

前にも書いたが、基本的にこの手の番組というのは、日中の(相撲の場合は夕方の)放送時間には見られない者へのサービスというのが第一義にある筈である。日によってまちまちだった放送時間を一定にしたのは改善と言っていいが、いかに録画が自在になった時代とはいえ、こういう放送はその日の内に見なければ意味と興趣の大半を失う。その点、一種のニュースとしての性格を持っているのだ。録画して後日にご覧になればよろしいではござんせんか、ということにはならない。(現に、いつぞやの不祥事で中継放送をしなかった折には、この番組がその日の取組の結果を伝える「報道」としての役割を担ったではないか。)

今場所は止むを得ず、在宅して中継を見ることの出来た日は夜中に「全取組」でもう一度見る愉しみは諦め、外出して中継を見られなかった日だけ夜中に見ることにしたが、14日目はその夜、長野の地震があったため遂に見ることが出来なかった。地震の報道のため放送時間が不規則になるだろうからと、念の為午前2時ごろからテレビをつけていたのだがが、地震の報道は既に終り、古いドラマの再放送などをやっている。本来の放送時刻である3時40分になっても別番組が続き、4時になったら放送終了になってしまった。その間、何の断りもないままである。たぶん、地震の報道のために時間がずれ込んだまま、機械的に番組を順送りして、終了時刻になったから終わった、というのであろう。なんという無頓着!

機械的と言えば、10月に時ならぬ大きな台風が襲来した時も、大阪湾の岸和田付近に上陸しました、と1時間も経って台風は既に名古屋辺りまで進んでいるというのに同じ原稿を繰り返し読むだけだった。無頓着というより無神経に近い。

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高倉健と菅原文太が相次いで逝って賛辞が溢れている中に私などの出る幕はまったくないが、いわゆる70年代にいわゆるやくざ物の路線で売り出したという共通項もさることながら、二人とも、そうなる前にかなり長い期間、半煮えのような、スターになり切れない時期があって、そういう時期の彼等を見ているということぐらいが、せめても私が彼らについて語ることが出来る残された余白だろう。片や東映の現代劇、片や新東宝と、昭和30年代初頭の日本映画界で一番冴えなかった場所で出発したというのが、彼等を語る上で忘れてはならない共通項だろう。といっても、菅原のことはあまり多くは知らない。当時の東映大泉で作った二本立て用の、題名さえも覚えていない見るからにチャチな現代劇に、学生服姿でそれが癖で口元を少し歪めるように微笑とも苦笑ともつかぬ笑みを浮かべ、それをせめてもの愛嬌としていた、役者としてはまったく未熟だった時代の高倉健というのは、10代だった私のなかで、ひとつの場所を確かに占めている。

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二人の死の間にはさまるように、呉清源が死んだ。百歳と聞いて、エ、そんなものだったのか、と軽い驚きを覚える。双葉山と呉清源、終戦直後に二人の崇高な天才が関わった「あの事件」は、思えばまだ未就学児だった私が初めて接し、いまも記憶の片隅に忘れずにいる、戦争は別として社会というものへ初めて私の目を向けさせた「事件」だったことになる。二人とも、ただの相撲取り、ただの碁打ちではなく、ある種の求道者であったことは間違いない。折から白鵬が優勝して大きな記録を達成し、次には双葉山の境地を目指すかのごときことを語ったという。

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