随談第543回 新連載「私家版・BC級映画名鑑-名画になりそこねた名画たち」(1.5流から2.5流まで)

左側の「お知らせ」の欄に毎月、新聞劇評の掲載日を予告しているが、切り口も味付けも違えてあるとは言っても、新聞評が掲載になるまでは「今月の舞台から」は載せないという原則はなるべく守りたい。今月は歌舞伎座評は今日7日掲載だが、平成中村座の評が、実は既に書いてあるのだが紙面の事情で15日の掲載日迄まだ日数があるので、その間を活用して、表記のようなテーマで新規の連載物を思い立った。

じつはこのブログを始めて間もなく『時代劇映画50選』と題して書きはじめ、中断したままになっているのも気になっている。しかしこの十年余來、昭和20年代、30年代の映画を機会が許すごとに見るにつけ、時代劇以上に、当時の現代劇を見るのが面白くてたまらなくなってきた。映画の内容自体やなつかしの俳優達もだが、それ以上に、そこに現われている世相や、(もしかしたら製作者も気づいていないかもしれない)意識やら当時の通念やら、風習、風俗、画面に映し出された風景等々、叫び出したくなるような事どもがそこに映っているのを読む面白さを知ったからだ。それを、書いておきたいという思いが喉まで溢れてきたのである。

昭和20年代、30年代というと、私にとっては小学校入学から大学卒業まで、学童・生徒・学生時代がすっぽり収まることになる。だから、自分の生きた時代というより、むしろ、自分という人間の形成時代という方が正確かもしれない。などと尤もらしい言い方をするより、もっと端的に、その時代の映画の方が、未知・既知を問わず格段に懐かしく、興味の対象足り得るからである。嘗て見たものとの再会、初めて見るもの等さまざまだが、神保町シアター、池袋新文芸坐、日本映画チャンネル、チャンネルNECO等に多くを負うことになる。

BC級といったのは、『東京物語』や『七人の侍』のような誰もが論ずるような巨匠の名作は対象外とするというほどの意味で、実は当時にあっては名画と思われていたようなものも含まれるだろう。よく、時が淘汰するというが、これは実は、時が紋切型を推進するということの半面でもあって、そう簡単に淘汰されて(させて)たまるか、という思いが、何事によらず私は強いということもある。またBC級という中には、AとA’と二本あったとすると、Aばかりが世に喧伝されてA’が不当に冷淡に扱われるということもありがちであり、何故か私は、そういう場合、A’の方を愛好する癖があるからでもある。またもっと単純に、いわゆるB級グルメのような意味でのBC級も、もちろん対象となるであろう。

実は中公選書から川本三郎氏と筒井清忠氏の対談形式による『日本映画隠れた名作―昭和30年代前後』という好著が昨夏出版され、いささかならぬ擬痒を覚えもし、同時に多くの卓見や知見も頂戴したのだが、テーマとしてはかなりの部分が重なってしまうことを承知で、「私家版」としてこうした形で始めることにする。時には、敢えて重複を厭わずこの名著と同じ作品、同じ話題に触れることも勝手ながら許していただくことにする。一回分1200~1500字程度、不定期だが、他の記事の合間を縫って月、一、二回程度掲載できれば、と今のところは思っている。どれだけの読者がついてきてくれるかわからないが、こうした我儘な記事に興味を持って下さる方が少しでもあれば嬉しいことだ。

というわけで、第一回は 

 『一刀斎は背番号6』(昭和34年大映、木村恵吾監督)

なる珍物から始めることにする。

       ***

剣豪伊藤一刀斎の第十世と称する仙人のような髭を伸ばし朴歯の下駄をはいた人物が、ペナントレース開幕を飾る西鉄=大毎戦が行われる後楽園球場に現われ、球審に深々と一礼した後、当時日本球界随一の西鉄ライオンズの稲尾の投じた一球を左翼観覧席上段に本塁打してしまう。じつはこれは試合前のアトラクションだったのだが、早速スカウトが殺到、大毎オリオンズと契約を結んだ一刀斎はたちまちホームラン打者となる。(守備は出来ないし、当時はまだ指名打者制などないから、一試合一打席である。)

昭和34年5月1日封切りの大映作品だから、当時の大毎オリオンズの選手が総出演、荒巻淳、小野正一、田宮、山内、葛城、榎本etc、に加え、相手方の西鉄からは監督の三原をはじめ中西、豊田に稲尾が出演、稲尾に至ってはマウンドに立って実際に投球し、しかも二度にわたって一刀斎に本塁打されるという「屈辱」のシーンがある。更に特別出演として、「小西節」と呼ばれた名人芸の話芸で鳴らした解説者の小西徳郎、名審判二出川延明に原作小説の作者五味康祐が出演するという、往時を知る者にはそれだけでも「歴史的価値」があるが、もうひとつ、当時の後楽園球場のスタンドが何度も映し出されるのも、今なおプロ野球は後楽園という思いが強い私などには貴重な映像と言わねばならない。(後楽園球場を舞台にした映画には、他にも『野良犬』『川上哲治物語』『四万人の目撃者』(中日ドラゴンズの西沢が出演、三塁打を放ってサードに滑り込んだところで事件が起こる)などがあるが、この作もそのリストに加えられる資格がある。)

主人公の一刀斎役は若き日の菅原謙二で、柔道ものの映画のスターというイメージの強かった当時、武骨で朴訥な好青年という役どころは絶好の適役というべきで、蓬髪を散発して大毎の選手となったユニフォーム姿で、闇夜の手裏剣も避けるそれがし、白昼、まして間合いを計って投げる球を打ち返すなどいとたやすき技でござる、というセリフがよく似合う。奈良の山中で修行に明け暮れ、もはや日本中に手合わせをする相手は合気道の達人某のみと試合を求めて上京するが相手は不在、やむなく止宿した旅館のひとり娘の案内で都内を捜し歩くうち、ふとしたことから後楽園球場に紛れ込んだのが、野球界に幻の強打者出現という事態となったという筋書で、旅館の娘が叶順子、灯台下暗しでそのすぐ裏手に住まう目指す相手の合気道家の娘が仁木多鶴子、どちらもいまとなっては知る人ぞ知る女優だが、当時の大映にあっては若尾文子に次ぐ新進だった。叶順子の両親が菅井一郎と浦辺粂子で、彼等の経営する旅館の様子が、当時は都内にもこの手の和風旅館がいくらもあったことを思い出せる貴重な資料として面白い。

結局、菅原一刀斎は、目指す相手が急死したと知ると、未練もなくオリオンズを退団して老母に孝養を尽くすべく帰郷するのだが、野球選手として最後の仕事が、来日した米大リーグ選抜軍との試合で、無安打に抑えられていた全パシフィック軍が南海の野村(もちろん、あの人である)が敵失で出塁すると、田宮の代打で登場、さすがの一刀斎もメジャー随一の投手を相手に二球続けて空振りするが、ここで「審判殿にお願いがござる」と言い出す。目隠しをさせていただきたい、というのだ。ダッグアウトに戻って目隠しをしてもらい再度打席に立つと、邪念を払った一刀斎は次の一球を快打一番、叶順子と仁木多鶴子のアップのショットを映してエンドマークとなる終りも鮮やかである。

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