随談第549回 照ノ富士礼賛

照ノ富士が夏場所でめでたく優勝して大関に昇進したのは大相撲にとって近来の欣快事である。大器といわれ底知れぬ力は知られていたとはいえ先々場所はまだ平幕で8勝だったのだから、先場所に白鵬を力相撲で破って準優勝した強さが、万人に強烈な印象を刻み付けたればこそと言える。先場所と二場所の成績だけで、協会が満場一致で昇進を決め、マスコミからも世間からも疑義をはさむ声がまったく聞こえてこないというのは、白鵬に次いでナンバー2の実力者であることを、皆、暗黙の裡に認めたことになる。

夏場所、私が見たのは12日目で、前日の白鵬戦で一敗地にまみれた翌日だったが、稀勢の里をがっぷり四つからの左下手投げ一発で転がした相撲は、充分に満場を興奮させるに足り、次の一番で白鵬が豪栄道に逆転負けを喫する雰囲気を醸成したかのようだった。つまりはあの稀勢の里との一番から、今場所の最終章が書き換えられたのだ。常日頃相撲の動向などには見向きもしなかった民放が、俄かに大相撲の映像を流し始める。良くも悪くも、そういう「風向き」を察知する能力はさすがと言わねばなるまい。

先場所の折にも書いたが、照ノ富士の「照」は伊勢ヶ浜部屋の往年の横綱照国の「照」だろうが、体躯といい力感溢れる豪快な相撲振りと言い、照国と戦中戦後を支えた羽黒山の再来を思わせる。あれで、もうひと腰低く立って自分充分に組む立会いを身につけたら、腰の柔らかさと併せ、羽黒・照国両雄を合せることになる。羽黒山だ照国だと、大昔の話を始めようというのではない。観客の側も現役世代は柏鵬を語れれば上々、栃若を語れる人の多くは後期高齢者になってしまったいま、(その柏鵬すら、大鵬とは言っても柏戸と言う声をほとんど聞かないことに私はかなり深刻な疑義を抱き始めているのだが、それはいまは他日の話としよう)、照ノ富士によって久しく忘れていた、本格的な力のこもった四つ相撲を見ることが出来る期待を語ろうがためである。もうひとつ、照ノ富士の真価を語るためにはそこまで遡らないと似たタイプが見当たらないためでもある。

照国は短躯肥満、搗きたての餅のような柔軟さで差し身がよく、叩かれても引かれても前に落ちない堅実さを誇る相撲巧者で(いまの千代鳳に幽かにその面影を私は偲んで、大関ぐらいまでなら行けそうかと期待している)、優勝は晩年になってから二回しただけだから、上辺の記録を見ただけでは軽視されてしまうだろうが、それでもなおかつ、名横綱の名に恥じない見事な相撲を取った一流の名力士だった。強力無双、豪快にして堅牢な相撲を取った羽黒山と、見たさまも相撲振りも好対照だったのもよかった。羽黒山は戦中から終戦直後の、旧両国国技館を摂取されて神宮相撲場や浜町公園の仮設国技館で本場所を開いていた時期に最盛期を迎え、立浪部屋の兄弟子だった双葉山の後を追う形で並びかけ(大関になった名寄岩と三人、立浪三羽烏と呼ばれたのは戦前の話だったろう)、双葉の引退後を襲うようにして、4連覇したところでアキレス腱を二度断裂しながら38歳まで取ったという、おそらく歴代横綱中、最も寿命の長かった一人の筈だ。最後の勝利は昭和28年初場所、5日目まで全勝しながら右親指を骨折して(二瀬山という闘魂溢れるファイターとの対戦で、前哨戦の突っ張り合いの時、左手の親指が相手の口の中に入り、噛み折られてしまうという椿事だった)以後ほとんど片手で相撲を取る状態の中で、新大関の栃錦がもろ差し速攻で攻めるのを外四つから極め出しで破った豪快な相撲で、照ノ富士が先々場所・先場所と豪栄道を極め倒した二番を見て半世紀前の記憶を蘇らせた。翌場所休場した翌々28年夏場所2日目、荒法師と異名を取った玉ノ海の外掛けで小山が崩れるように倒れてそれを最後に引退したという、つまり生涯最後の土俵を私は見ている。完成途次だったためにまだ仮設国技館と言っていた蔵前国技館の大衆席だった。大衆席と言うのはいまなら椅子席のCに相当することになるが、わずかに傾斜のついた板張りの床に薄べりを敷いただけだったから、見ている内にいつの間にか少しづつ畳目に沿って座蒲団ごと滑り、前の方へと人が詰まってゆくという、まさに「大衆席」の名の通りの席だった。

ところで白鵬だが、12日目、豪栄道の(得意の?)捨て身の首投げに不覚を取った後、負け残りで控えに戻るべきところを異例の長時間、花道に立ち尽くしていた姿が、マスコミの報道は遠慮がちにしているようだが、異様とも不審とも、まず見たことのない光景で、真意はともかくあまり見よいものではなかったと言わなければならない。初場所の稀勢の里戦での物言い取り直しの判定にクレームをつけた一件の記憶がまだ強く残っているいま、白鵬自身の自負とプライドの余滴が、分水嶺の向こう側へ流れ落ちるかこちら側へ落ちるか、微妙なところで揺れているに違いない。このところの白鵬の中で何かが起こっていることは確かだろうが、この土俵下での振舞いが、今場所の在り様のなにがしかを語っているかのようだった。今場所の4敗のどれにも共通しているのは、出るべきところで送り足が出なかったことだが、まあ今のところは、鳥影が差したようなものかも知れない。大関として照ノ富士が、白鵬とどれだけ互角以上の相撲を取れるかどうかに、今後がかかることになる。

それにつけても、一昨年来の遠藤ブームで相撲人気が回復したのは同慶の至りだが、昨秋来、前売り発売とほぼ同時に土日祭日は全席売切れてしまうという有り様で、切符を手に入れるのが俄かに難しくなったのは、私などには痛しかゆしという他はない。

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