随談第550回 今月の舞台から(2015年6月)

『新薄雪物語』を『忠臣蔵』並みに昼夜に掛けて出そうという今月の立て方は、歌舞伎座としてももしかしたら初めてかも知れない。入りが薄いなどと言われてあまり出なかったのが、平成になる前頃から上演が増えてきたようなのは、歌舞伎に対する世の嗜好(志向)が変ってきた、これもひとつの表われとも言えそうだが、それでもまだ知名度は高いとは言えない。なまじ「新」の字がついているために新作物と思い込まれることも、いまなお跡を絶たない。


『仮名手本』の場合は、ちょうど四段目までの時代の世界が終わって五、六段目の世話の世界に入るところで、昼夜の変わり目が実にうまくゆく。映画の『風と共に去りぬ』が南北戦争までの時代の部分をパートⅠ(一番目)、舞台がスカーレット・オハラの故郷タラに移って世話になってからがパートⅡ(二番目)となるのと同じデンだが、四段目の長丁場で芝居が重たくれた後に、がらりと調子が変ってお軽勘平の道行になって昼の部を打ち出すというのは、元来『仮名手本』のパロディ作だった「道行旅路の花聟」のあの明るい憂愁と遊び心に満ちた曲調が、以後の悲劇を予感させつつ昼の部を締め括るという絶妙の効果を発揮するわけで、原作尊重主義者や二部制反対論者が何と言おうと、あれは戦後歌舞伎の上演形態が生んだ最高傑作と呼ぶに値するであろう。(もちろん、本文通り「裏門」を出す上方方式も結構だが、それとこれとは別の話だ。)

だが『新薄雪物語』を真半分に割って、「花見」と「詮議」を昼の部に、「広間・合腹」と「正宗内」を夜の部に、というのは、苦肉の一案には違いないが『仮名手本』の場合のようにはうまく行きにくい。ストーリーが『忠臣蔵』ほどの馴染がない、ということはこの際置こう。「花見」と「詮議」だけ見て帰る人は、少なくとも歌舞伎的気分をかなりの程度満喫して帰るかもしれない。しかし夜の部だけの切符を手に入れて見に来た人は、いきなり「広間・合腹」を見せられ、その後に「正宗内」を見せられて、腑に落ちたろうか? たとえ『新薄雪物語』全編のストーリーにある程度通じている人だとしてもだ。

昭和40年の11月の歌舞伎座といえば歌右衛門がホイベルス師というカトリックの神父さんの作った『細川ガラシャ夫人』を初演したり、まだ知る人ぞ知るという存在だった玉三郎が『双面』のおくみを雀右衛門の代役でつとめて刮目させたりした懐かしい月だが、この時の昼の部に『新薄雪』が出て、何と「詮議」に「広間・合腹」の二幕のみという出し方だった。勘弥と歌右衛門が園部夫妻、八代目三津五郎と夛賀之丞が伊賀守夫妻、延若が葛城民部、それに襲名からまだ二年の三代目猿之助(つまり現・猿翁である)と現・梅玉の先代福助が左衛門と薄雪姫、半年後の翌年4月に引退して6月には四国巡礼の途次瀬戸内海に入水してしまう八代目團蔵が秋月大膳(「花見」も出すならなかった配役だろうが、「詮議」だけの大膳としては、何とも古怪で不気味な忘れがたいものだった)というやや地味目の配役だったが、なかなか充実した、内実のある良きものだった。こういう出し方もあるのである。つまり「詮議」と「広間・合腹」はセットなわけで、そこを実力者を揃えてしっかりと見せれば、必ずしも通しでなくとも、大一座でなくとも、昼夜いずれかの芯になる演目として出すことも充分可能なのだ。

と、これを逆に言えば、全篇の核心としてあくまでセットであるべき「詮議」と「広間・合腹」を、今度のように昼夜に分けてしまうのは、ちと無造作に過ぎたとは言われまいかということになる。(『仮名手本』の上方流だと昼の部に六段目までやってしまい、夜の部を七段目から始め必ず八・九段目も、東京式のように別扱いにせず、一日の内に見ることが出来るという長があるのだが、ただひとつ、六段目の勘平腹切と七段目のおかるの筋が立ち別れになってしまうのは上方式の弱点であろう。「詮議」と「広間・合腹」を昼夜に分けるのはそれに近い。)あれは昼夜両方の切符を買わせようとの松竹の策略であろうというような、巷間囁かれている軽口とは、一旦切り離しての話である。「正宗内」を久々に出すという事情もあるわけだが、上演時間の上のことだけ言うなら、「正宗内」の方が、昼の部第一の『天保遊侠緑』よりむしろ短いわけだ。理由はおそらく他にあるのであろう。

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しかし舞台だけのことをいうなら、まずは結構な『新薄雪』であった。菊・吉・仁・幸の四横綱揃い踏みというところに今回の配役の主眼があることは明らかで、菊五郎が「花見」で妻平で出て「詮議」で葛城民部とおいしいところをつまみ、仁左衛門が「花見」で大膳から「詮議」では識者の難ずる半不精もものかわ園部兵衛へ変って、幸四郎大渋の伊賀守と共に「広間・合腹」と実のあるところを取り、吉右衛門は団九郎ひと役ながら「正宗内」を出して合わせて一本の実を取ろうという、これだけ落ちこぼれなく揃うのは、いずれまたと言ったって…‥という思いは口には出さね万人の胸にあるところを、こうして目の当たりに見られるのだから、まずはこの眼福を心ゆくまで嘆賞するのが最も「正しい」鑑賞法ということになるのであろう。妻平にしても、団九郎にしても、もう何年か前だったらと欲が出るのは、正直、違いないとしてもだ。

籬は時蔵屈指のはまり役であって11年前の折の三津五郎の妻平とふたりでの恋の取り持ちの件の素敵だったのが忘れられないが、今回は菊五郎が決して悪いわけではないのだが、どこか大儀そうに見えるために今ひとつ弾まないのは、致し方ないという他ない。(新聞評に、このことについて触れた件で、「次にはもう一倍の弾みがほしい」となっているのは「欲には」の誤りである。校正の際見落とした筆者の誤り、この場を借りて訂正と共にお詫びしたい。「又といっても」と言いながら「次には」という論理的矛盾に気が付いた方には、お察しいただけたかもしれないが。)

仁左衛門の大膳は初役だそうだが、十三代目の大膳がそうだったように花道から出て七三で「咲いたわ咲いたわ」をやる。その十三代目の時の団九郎が吉右衛門で、今度がそれ以来という。まこと、歳月は人を待たないと思う他はない。吉右衛門が「正宗内」を出すのは、先日の『伊賀越』の「岡崎」と同じデンで、初代がしたものという思いと、幸兵衛に正宗に歌六がいればこそ、という条件が整ったことと、二つながらに備わった時こそ今、ということだろう。「正宗内」は、ご覧になった通りの芝居で、『仮名手本』で言えば十段目の「天川屋」みたいなものだが、『千本桜』の「鮓屋」もどきにしてみたり、歌舞伎芝居として何とか面白く見せようとの苦心の跡が偲ばれる。あるいはこの場が「鮓屋」の先行作なのかも知れない。最後に団九郎が片腕を切り落とされての立回りは『腕の喜三郎』を思い出させた。入りの薄い国立劇場で復活上演した、あれはもう30年からの昔になる。

さっき時蔵の籬の話をしたが、このクラスの女形が働きどころを得たのもこの月の好もしいところで、魁春が梅の方をするのはかつてこの役を専らにしていた歌右衛門の格に坐ったわけで、他の同類の役回りに回った時と同じように、魁春は幅は狭いが確実な守備領域を持っている堅守の内野手のような趣きがある。伊賀守の妻の松ヶ枝という役は「三人笑」には参加させてもらえず少し損の卦の役だが、芝雀はその代わり「正宗内」では小型お里のような娘役を受け持ったり、開幕劇の『天保遊侠緑』では八重次を引き受けたり、かつての、「長老」の座に納まる前の父雀右衛門がそうだったように、広範な守備範囲を誇るまさに「遊撃」という言葉通りの遊撃手の活躍ぶりである。橋之助とはほとんど初めても同然のような顔合せと言う。なるほどそう言われてみれば、橋之助は近年は主に勘三郎と行を共にしていたし、芝雀は実質上播磨屋一座の立女形のような働きをしていたから、一座することもなかったのであろう。しかし『天保遊侠緑』の小吉と八重次にしても「正宗内」の国俊とおれんにしても、このコンビ、悪くない。とりわけ橋之助にとって、しっかりした女房役を持つことはいま必須のことであるかもしれない。この顔合せがコンビとしてこの後も組まれることを期待しよう。

秋月大膳と大学兄弟の半不精といえば、大学役の彦三郎が面白いことを筋書の出演者の弁で言っている。大膳とは役柄が違うから同じ顔には作らないのだという。なるほど、批評家などというものは半不精の是非は論じてもこういうところへはなかなか頭が回らない。さすが羽左衛門の後継者というものだが、ところでこの大学、精悍な感じがなかなかいい。この人、菊五郎の水野十郎左衛門に於ける近藤登之助など、この頃こういう役回りでオッという仕事をするのは、さすが年功というものである。

半不精といえば、籬の代りの呉羽を高麗蔵、妻平の代りの袖平を権十郎がつとめて、なるほどというところを見せているが、薄雪姫に至っては、「花見」が梅枝、「詮議」が児太郎、「広間」では三転して米吉と代るが、これは半不精でも三分の一不精でもなく、若女形のホープたちに出場機会を与えようというところからの配役だろう。梅枝が「花見」では案に相違してあまり仕出かさないのは老け性質のためか? とすれば。少々考える必要があるかも。今回の三人に限っては、「詮議」の児太郎が着実にヒットを放った。

『天保遊侠緑』は橋之助の当り役と言っていい。この人はこういう、アアラ難しの問答無益みたいな役がいい。ある種古風ともいえる役者気質の、あっぱれ大丈夫、なのだ。『新薄雪』の国俊にしても、親の勘当を受けて願掛けをしたり、下男にやつして入込んだりしたところで、それほど七面倒な肚が必要なわけではない。大分前になるが、『熊谷陣屋』を芝翫型でしたことがあったが、ああいう試みをしてみるのもいいだろうし、『天保遊侠緑』でも伊東玄朴との件を是非やってみるといいと思う。現・猿翁がむかしやったことがあるが、麟太郎が犬にキン玉を喰われたのを治すために玄朴と渡り合ったり、橋之助に向いている筈だ。

麟太郎という役は出来れば実の父子でやれるといいのだが、国生がすっかり大きくなって麟太郎どころか甥の庄之助の役をするようになったのに驚く。よく頑張っているが、この役の扱い方(いわば性根でもあるが)に私は少々疑問を持っている。この前染五郎がした時にも思ったことだからこれは国生の罪ではないと思うが、今の演じ方だとこの若者は、単に気のいいだけなのか、はたまた知恵足らずなのか、どういう人間なのか計りかねるところがある。一度洗い直した方がよくないか。

ここでも魁春が阿茶の局になって格のあるところを見せる。品格のある役者に、という歌右衛門の教育方針はその限りでは達成されたのである。ところで、たしなめられた組頭取の連中が、若君のお側に仕える者と言っても無礼な態度を崩さないのに、局というと急にはーっとなるのは、むしろ逆ではないだろうか? その組頭の友右衛門、添番役の團蔵など、それぞれに年功を見せている。

菊五郎がちょっと大義そうとさっき言ったが、決して楽をしているのではなく、夜の追出しに『夕顔棚』を左団次と踊っている。この踊りは初演が初代猿翁と七代目三津五郎という案に相違の顔ぶれなのだが、今度梅枝と巳之助が踊っている里の若い男女が、初演では後の先代門之助の松蔦と岩井半四郎なのだから、栄枯盛衰、今は昔という他はない。

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国立劇場の鑑賞教室は孝太郎と亀三郎に亀寿の解説で『壺坂』という経済的な一座で、客席の入りはともかく舞台はどうして悪くない。孝太郎のお里が懸命に尽くせば尽すほど、「三つ違いの兄さん」より年上女房のきらいがあるのは、芸の上でもリードしていくことになるからやむを得ないことで、この孝太郎はむしろ好演というべきである。亀三郎の沢市は、ある種鋭角的な演技、というより芝居作りで、冒頭、お里を疑うところから、山に参ってからも、絶望の果て身を投げるまで、実に明晰でよくわかる。少なくとも客席の高校生たちも、真面目に見ていた生徒なら、みなよく沢市の心情を理解したであろう。それかあらぬか、ドラマチックなうねりがこれほどよく見えた『壺坂』というのも珍しい。若い人がする以上、これはこれでいいのだと思う。

亀寿の解説また、近頃よくあるお笑い風はクスリにしたくともなく、久々に見る正攻法で一貫する。出演者を紹介するのにも片岡孝太郎さんと坂東亀三郎さんと、二度言って二度とも、じつはボクの兄貴ですなどと言わないのは、これぞあの羽左衛門の孫だというより、亀寿流の美学であるのかも知れない。内容もあれもこれもと追わず、女形の化粧と着付の実演、基本の姿勢と仕草というところに絞ったのが、初心者の興味と驚きに端的に答えるものとなった。片岡當史也の実演も適切であった。

というわけで、今回の官署教室は規模は小さいがクリーンヒットである。

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三越劇場の新派は久里子が『十三夜』、八重子が『残菊物語』と新派本格派で知名度も高い安定銘柄の筈だが、それでも大入りというわけには行かないようだ。『十三夜』は録之助に迎えた松村雄樹がまずまず及第、父が立松昭二、母が伊藤みどりといういまの新派としては精いっぱいの布陣であり、まずは新派として名に恥じぬ舞台と言ってよい。(それはそれとして私は、父親の役を柳田豊で見たいと、じつは前から思っている。今回は『残菊物語』で五代目菊五郎という、この一座で他にやり手のいない役を引き受けてこれも悪くないが、『十三夜』の父親をする機会が、もう一度、久里子のせきであるかどうか。)

それにつけても、と言い出せば、先日亡くなった一条久枝を思い出すことになる。ああいう、骨の髄からと言いたくなるような脇役者、それも新派の、と限定することがむしろその演技の普遍性を示すことになるような脇役者は、新派に限らず、現代の日本の演劇界から存在の基盤を失いつつあるのかも知れない。「腕っこき」という、最近めったに見かけなくなった言葉がぴったりする、いい女優であり、いい役者だった。新派の、といったが、じつは終戦後のいっとき、子供の養育のために、当時隆盛を極めていた女剣劇の一座に出ていたこともあったと、何かで読んだことがある。そうした浮世の苦労が、見事に舞台に昇華されていた人だった。晩年の彼女を生かすだけの舞台を、新派が充分に備えられなかったことが残念である。

実はこのブログを始めて間もなくの随談第13回に、新橋演舞場で年に一度の恒例だった舟木一夫公演で『瞼の母』が出た時、金町の半次郎の母おむらの役でに出演した一条について、こういうことを書いたことがある。

ところで、ここでぜひ書いておきたいのが、その一条久枝である。私はこの人は、現在の日本のすべてのジャンルを通じての女優の中でも、幾人か指折り数えられる第一級の人だと思っている。先代水谷八重子と演じた、たとえば『金閣寺』など、人の世の労苦を誠実に、しかしさらりとたくましく、生き抜いた女を、あくまで脇の分を守りながら演じて,この人ほど、胸を貫く深さを持つ人はいない。大正とか戦前とか戦後とか、いろいろな呼び方をする日本の近代の、その時代その時代の実質感を、その役の人生を感じさせる(繰り返すが、あくまで脇の役の分を律儀に守りながらである)演技をする人はほかに知らない。

だが残念なことに、彼女への評価は、私の見るところ、充分になされているようにはどうも思えない。現にこんどの筋書きの扱いを見ても、上に挙げたあとのお二人に比べ、ひとまわり小さいのだ。そんなこと、どうでもよろしいのですよ、ともしかしたらご当人はおっしゃるかもしれないのだが、私としては、ひそかに切歯扼腕しているのである。
      
この文章を書いたのはちょうど10年前の2005年5月のことだが、この時の舞台が、私が一条久枝を見た最後となった。つい先頃訃報を聞きながら、追悼の文を書く機を逸したままになっていたので、ここに記してそれに代えることとしたい。

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人によっては森光子の代表作として『放浪記』以上という人もいて、充分、私もその意を汲むことが出来る『おもろい女』を、藤山直美がすることになって、シアタークリエでの1カ月公演の前に(前倒しの日延べよろしく)北千住のシアター1010ですることになり、そっちの方へ案内が来たので見に行ったところが、足立区の施設のいずれかに爆弾を仕掛けたとの報があり、午後3時までに区の施設すべてに退去命令が出たために、一幕目が終わったところで打ち切りということになった。他日シアタークリエで見直すことになったが、ところで、最上階にこの劇場の入っているビルの他のフロアーは丸井の店舗で、こちらは足立区の施設ではないから、営業を続けているという、当然と言えば当然、不思議と言えば不思議な光景が現出した。これを珍風景と呼ぶべきや如何に?

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新橋演舞場が大変な賑わいで、しかも50代かと思しき中高年男性の目立つこと、あの広々した二階の男性用トイレ(明治座と並んで、都内の劇場トイレとして双璧である)が混雑する有り様は稀有な光景である。去年に引き続いての三宅裕司を中心とする「熱海五郎一座」の公演だが、これだけの支持を得ているというのは大変なことだ。東京の喜劇の灯を絶やすな、というスタンスもいい。とにかく二幕、二時間半を気持ちよく笑いながら見た。

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新国立劇場のシーズン企画で森新太郎演出、フジノサツコ上演台本という『東海道四谷怪談』の初日を見る。お岩を秋山菜津子がする以外は、全員男優で、お袖もお梅も扮装は一応女姿だが男であることを露わに見せて演じる。髪梳きの場と、最後の伊右衛門討死の場面でピアノ曲「乙女の祈り」が鳴り響くことがお岩の「性根」を暗示するものと察せられる。とかく最近の歌舞伎では略しがちな「夢の場」を出すのもそれ故であろう。紙漉きの場などは、言葉も南北の原典そのまま使っている。

人物関係も、お岩-伊右衛門、伊右衛門-四谷左門、伊右衛門-伊藤喜兵衛一族、伊右衛門-お熊・秋山長兵衛etcといった線を重要視し、直助権兵衛は登場しない。いきおいお袖もあまり出番はなく、与茂七に至っては最後に突如姉お岩の敵、と言って現われることになるが、それはそれでよろしい。

と、そこまでは脚本・演出の意図を呑み込めたが、さて実際の舞台はというと、今日での相当の顔ぶれを集めていると思われる出演俳優たちの、発声も含めた言葉の感覚に私はどうにも馴染めないままに終始することになった。現代風なら現代風でいいのだが、それにしては妙に時代劇であることを意識しているかにも聞こえる。「じゃわいのう」といった言葉の言い回しが耳につく。ああいう発声、ああしたものの言い方は、当節の舞台上ではよく耳にするように思うが、現実の社会も含めそれ以外の場所ではあまり耳にしないような気がする。演出もそれを認めていると思われる。とするとあれは、現代の舞台演劇の「型」なのであろうか?(但し秋山菜津子のセリフだけは抵抗感を覚えることなくよく聞こえた。)

しかし本当は、この種の舞台について私などが何かを言っても始まらないのであって、歌舞伎の『四谷怪談』も何も馬耳東風の(即ち夏目漱石風にいえば、歌舞伎などという狭い路地裏を覗いたこともない)現代のごく尋常な若い人たちがこの舞台を見て、面白いと思ったのなら、多分それでいいのである。

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