随談第553回 今月の舞台から(8月・その1)

(1)

新橋演舞場の『もとの黙阿弥』を見たが一向に弾まない。三日目の夜の部だというのにこの有様では先が思いやられる。原因は結構深いところにあるようなので、少々の「手直し」という対処療法では片がつくまい。一生懸命、面白おかしそうに振る舞うのがことごとく空振りに終わり、客席からはくすりとも反応がない。まれに小さな笑い声があったとしても、表層的な笑いに留まって、舞台を弾ませるような力には到底ならない。役者たちは皆、内心焦っているに違いない。

根本的には演出の誤算だろう。配役から行くと、まず狂言回しというか、独楽の芯棒の役である坂東飛鶴(という名前の役者が実際に昭和30年代半ばまで菊五郎劇団にいた。東横ホールの若手歌舞伎で『石切梶原』が出れば六郎太夫辺りをつとめる相当の腕達者だったが、作者はまたどうしてこの名前を登場人物に使ったのだろう? 単に知らなかっただけか、ひとつの謎だが、私は気になっている)の役に波乃久里子を選んだのが、誤算の程を象徴している。気の毒になるほど空回りしている。バットにかすりもしない、あるいは、投げるボールがことごとくコースを外れる、といった趣きである。この役に久里子を使ったことがそもそも間違いなのだが、もっとも自分からやりたいと言った久里子自身にも責任の一端はあると言わなくてはならない。

もちろん久里子は新派古典の演技者として優れた女優である。名優と言ったっておかしくない。今度だって普通の意味では拙いわけではない。それにもかかわらず客席からウンともスンとも反応がないのは、彼女がするべき役ではないからで、どんなに力のある役者でも自分の持てるもので勝負の出来ない芝居は如何とも仕様がない。観客は敏感にそれを察知するから、本当はワーワー言って笑いたいのだが笑えないのである。ここに久里子自身の、より根本的には演出者栗山民也の誤算がある。更に根本的には作者井上ひさしに対する思い違いがある。

時は明治20年。滔々たる欧化の波に足元の砂が崩れそうになる中で頑張っている女役者坂東飛鶴、とくればば久里子にぴったりではないか、と思うだろうが、それがそうでないことにどうして気が付かなかったのだろう。作者の井上ひさしの台本の文体は、新派古典で身につけた久里子の演技大系にはない種類のものであることに、本人も演出も、思いを遣らなかったのだろうか。私は初演は実は見ていないのだが、数年前の再演の時の高畑淳子は悪くなかった。へえ、こういうものもこれだけやるんだなと、ちょっと感心したほどだ・・・というところに、鍵はあるのであって、逆に高畑淳子が『明治一代女』や『鶴八鶴次郎』をやったらどうにもサマにならないだろう。つまり井上ひさしの戯曲の文体というものは、あくまで、新劇あるいは現代劇の系統の演技術を基本とするもので(現に、今度の出演者の中では内務省国事探偵の役の酒向芳が一番井上戯曲の言葉が言え、井上戯曲の人物になっている)、一見、七五調めいた言葉遣いがあったとしても、それは高畑淳子には言えても波乃久里子には言えない種類の(性質の)ものなのだ。久里子に限らない。現に、(井上戯曲の必ずしも熱心な観客ではない私はその上演されたすべてを見ているわけではないが)これまで歌舞伎や新派の俳優が演じた井上戯曲で成功した例があっただろうか? 少なくとも私は、出会ったことがない。(今回の愛之助にしても、最初の自転車に乗っての出が空振りだった以外は大きな破綻はないにせよ、愛之助でなければ、というほどのものではない。)それにもかかわらず、歌舞伎や新派の役者たち、あるいは歌舞伎や新派の愛好者たちのかなりのパーセンテージの人たちが、井上ひさしという作者は歌舞伎や新派の「味方」であると思い込んでいる・・・。久里子ばかりか栗山民也までが、そこに気が付かないというのが、私にはどうにも解せない。

『もとの黙阿弥』という戯曲は、煎ずるところ、井上ひさしの演劇論の論文である、と私には見える。一見、面白おかしげにこしらえてあって、その作劇術や言葉遊びの術は、もちろん、劇作の技法として大したものだが、しかしそれは(自身語っている通り)800本の歌舞伎脚本を読み黙阿弥全集を3回通読したという「知識」のなせるものであり、語られる内容はことごとく論理また論理である。つまり「難しいことを易しく」述べているのであって、もちろん劇作家井上ひさしとしてはそれでいいのだが、問題は歌舞伎や新派の俳優の側が、井上先生は歌舞伎や新派の味方だ、と思い違いをすることにある。更には、栗山のような演出家までが、浪乃久里子や片岡愛之助にさせればうまく行くだろうと思い違いをするところにある。

確かに井上ひさしは、むかしの(たとえば千田是也のような)新劇のセンセイたちと違って歌舞伎を新劇の下に見るような言辞を弄したりはしない。だがだからといって、井上戯曲が、「旧派」の俳優術に向いた(向けた)言葉で書かれているわけではない、ということにどうして気が付かないのだろう。久里子が言ったのでは立ってこない「井上ひさし語」が高畑淳子が言えば立ちあがるのだ。「ナニナニですよぉ」という言い方が久里子扮する女役者坂東飛鶴の口から幾度となく出てくるのが耳につくが、かんぺら門兵衛ではないが、その「よぉ」が気に食わない、ではなく、気になって仕方がないのは、井上戯曲のコトバにうまく取り付けない久里子が、あの「よぉ」に取りすがっているように聞こえるからだ。

ナンノダレソレじつはナンノダレガシ、といった黙阿弥が駆使したような作劇法が、演劇改良会が唱えるような「文明的」な作劇法よりじつは古今東西に通じる作劇法であり、ギリシャ劇の作者もシェイクスピアもモリエールもそういう方法で脚本を書いて来たのだ、というところを捕まえたのが井上戯曲の働きなわけだが、だからといって井上ひさしの持っている言葉が黙阿弥(やその他の旧劇の作者たち)のような、(マア早い話が)糸に乗る,乗せられるような文体ではなかった、ということに話は尽きるのだ(というのが私の井上ひさし論のリクツである)。蛇足を加えるなら、お嬢さんに成りすましていた女中のお繁が元に戻れなくなってしまった、というオチに現代作家としての肝があるということだろう。

(2)

中村富十郎の遺児の鷹之資と愛子の兄妹が「翔の会」を一昨年に引き続く第二回として国立能楽堂で催した。富十郎が亡くなった時、小学6年生と1年生であった兄妹は、既に高校1年生と小学校6年生になっている。まさに光陰は矢の如しである。鷹之資は、もう髭を剃るのだそうだ。亡父そっくりの体形だが、おそらくサイズは父より大きくなっていると思われる。舞台に立てば亡父の大きさが圧倒的に感じられるのが、芸の力によるもので、これから生涯かかってその差をどれだけ縮めて行けるかを、私たちは見てゆくことになる。

鷹之資が『藤娘』と能の『安宅』から富樫との盃の件を舞囃子として、さらに清元の『玉屋』を、愛子が『雨の五郎』を、いずれもいささかの外連味もなくしっかりと踊り、舞って、確かな修行のさまを窺わせる。とりわけ「片山幽雪先生に捧ぐ」という詞書きを添えた『安宅』は、亡父のよしみで幼少の折から指導を受けた幽雪師の後、九朗右衛門師の指導で舞うもので、『勧進帳』のための基礎訓練という位置づけという。こうした指導を受けられるのも父の遺徳だが、その父の若き日、安宅英一の助力による英才教育を受けたことを連想させる。思えば一高校生と一小学生のために、国立能楽堂という場に、一杯の人が集まるというだけでも大変なことである。

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