随談第555回 私家版・BC級映画名鑑 第5回 映画の中のプロ野球(5)

(しばらく間が空きましたが再開します)

『エノケンのホームラン王』(その1) 

前回の『野良犬』について、おそらくこれほど後楽園球場と試合の模様が詳しく描写された映画はないだろうと書いたが、じつはそれをはるかに上回る作品がある。ここに映し出された後楽園球場のスタンド、グラウンドの各部所と全貌は、私が少年時代に現実に見た記憶そのままを現前してくれる上に、まだ1リーグ時代の1948年、昭和23年当時の現役のジャイアンツの主力選手がほぼ洩れなく登場し(「讀賣巨人總出場」と画面のクレジットにある)、グラウンドでのプレーばかりか、何とビッグ級の幾人かは演技としてセリフを言うシーンまで、それも幾度もあるのだ。昭和23年9月7日封切りの新東宝映画、渡辺邦男監督作品『エノケンのホームラン王』である。

この年の公式戦では巨人の4番打者川上と3番打者青田が共に25本塁打を放って(これは当時の新記録だった)本塁打王を分け合ったのだったが、この二人の間にエノケンが挟まってバットを構えたポーズのポスターを覚えている。だが今度キネ旬増刊の『日本映画総目録』を確かめて不思議に思うのは、9月7日という封切日はまだシーズン途中なわけで、してみるとあのポスターは、実際に川上と青田がホームラン王を分け合ったのを先取りしていることになるのだろうか? もう一つ、これと絡んで当時笠置シズ子が『ホームラン・ヴギ』というヒット曲を飛ばしている。「朝も早よからホームラン・ヴギ」と始まる歌詞の中に「カワカミアーオタ」と二人のホームラン王の名前が詠みこまれていた。もっともこちらは、(別に主題歌というわけではない)この映画と直接の関係はない。

この映画は、この当時年間何本も作られていたエノケン映画の一作で、実は私の映画初体験も映画開眼もこの手のエノケン映画を通じてだったといっても過言ではない。もっとも、親が自分の見たい映画を見に行くときにお相伴したのと、厳密に言えばどちらが「初体験」かはわからないが、エノケン映画をいろいろ見せてくれたことは確かである。エノケンなら安心して子供に見せられたわけだろう。そういう中の傑作は『エノケン笠置のお染久松』で、後に歌舞伎や文楽で『野崎村』を見るようになって、この映画を見ておいたことがどれだけ役に立ったか知れない。ところでこの『ホームラン王』はエノケンがマスコット選手として巨人軍の一員となるという趣向で、ジャイアンツの選手たちがチームメートとして出演するので、有名選手たちの姿をグラウンド上だけでなく内側からも見ることができるのがミソであり、エノケン映画の中でもユニークな一作となっている。「讀賣新聞社後援」、「日本野球連盟協賛」とクレジットにある。

ラジオの実況中継を聞きながら家業の肉屋の店を手伝い、自転車を飛ばして、既に試合も終盤の後楽園球場に駆け付けるという距離にある商店街の(特に指定はないがどの辺を設定してあるのだろう?)、エノケンの家が精肉店、エノケン扮する健吉青年(と言っても当時エノケンは既に40代で、独特の顔には皺も相当多い)は巨人びいき(「巨人××××」とテレビの放映ではそこだけ音を消している)、大声を立てれば筒抜けの狭い道路を挟んだ向かいの鮮魚店は女房の清川虹子は江戸っ子だが亭主の田中春男が上方人で阪神贔屓、お千代というその妹(春山美祢子という新人女優がやっている)と健吉が相思相愛のロミオとジュリエット状態にあるというお定まりの設定だが、いうまでもなく巨人阪神をめぐる両家の諍いは他愛もなく、やがて健吉が巨人軍の一員となって各地を転戦する先々から毎日送ってくるお千代宛ての手紙から、涙ぐましい健吉の頑張りを知った清川虹子の女房が俄然巨人ファンに宗旨替えして、いずれロミオはジュリエットとめでたく結ばれるであろうと予測させて終りになる。

それにしても田中春男という俳優は、昭和20年代から30年代、エノケン映画から黒澤映画から、ジャンルを問わず監督を問わず、善人悪人役どころを問わず、どこにでも出てくるという達者にして重宝な俳優だった。おそらく往時の映画界にあって出演作品数最多の一人であるに違いない。評伝が書かれて然るべき名バイプレイヤーである。健吉の両親が田島辰夫と柳文代、同じ商店街のジャイアンツ贔屓なのでジャイ床という床屋の主人が如月寛太といった、エノケン一座に欠かせなかった役者がやっている。(加東大介がニューギニア戦線での実体験に基づいて自ら主演した昭和36年東宝映画『南の島で雪が降る』に登場する、渥美清扮する偽如月寛太の本物である。つまり南方の戦地の兵隊たちに、エノケン一座の如月寛太といえば充分通用するほどの存在だったわけだ。)

ところで映画の中身だが、このシーズン、巨人はいまひとつ調子が出ない。一念発起した健吉は三原監督をはじめ中島、千葉、青田、川上といった有力選手に直訴の手紙を出して入団テストを受ける。もちろん合格する筈もないが、温情ある三原監督と中島助監督の計らいでマスコット選手として入団(もらった背番号が0というギャグは、実際に選手が背番号0をつけるようになった今では通用しないが、当時は観客の爆笑を誘うに充分だった)、あこがれの巨人軍の選手たちと行動を共にし、全国を転戦する遠征試合にまで同行するようになる。(遠征先から出したお千代宛ての手紙の中で、健吉が、君が編んでくれたセーターを川崎さんにあげてしまったと詫びる一文がある。川崎さんとはナックルボールで鳴らした好投手川崎徳次のことだが、移動中の列車の中で川崎投手が盗難に会って着るものがなくなってしまったからだというのが、いかにも戦後まだ3年という時世を語っている。)

練習にも参加し(何と、塀際の魔術師の異名を取った好守の左翼手平山が、健吉が頭から滑り込むのを見て「オイ健坊、それじゃ危ないから足から滑り込むんだ。こうやるんだよ」とスライディングの手本を実地にやって見せてくれたりする)、選手たちのスパイクの手入れからアンダーシャツの洗濯からバットなどの道具運びから、果ては猿の真似をする珍芸で皆をなごませるなど、大いに努めてチームの人気者となるが、所詮マスコット選手は試合には出してもらえない。いじらしい心を察した川上や千葉等が監督に進言、監督も配慮してくれるのだが、それほど甘い世界ではないことを悟り、退団を決意して川上に託して提出しようと辞表を書くが、その川上が折からシーズン終盤を迎えて元気がなく凡退を繰り返す。川上の自宅を訪ねたことから、不振の原因が病床にある母親を連夜徹夜で看病する疲労のためと知り、健吉は自分がお千代と二人で母親の病床につき切りで看病することを申し出て、川上に後顧の憂いなくプレーに専念してもらうようにする。(川上の母親役の伊達里子は、日本初のトーキーと言われる『マダムと女房』で田中絹代の女房に対する、ジャズに明け暮れる有閑マダムの役をつとめた、戦前は洋装の似合う妖艶な役で鳴らした女優である。)川上は見事最終回に逆転ホームランを放ち巨人軍は優勝、事情を知った三原監督はじめ選手一同から真の殊勲者は君だと讃えられ、皆に胴上げされる場面にエンドマークが重なるというストーリーで、原作サトーハチローとある。

サトーハチローは当時、少年雑誌などに次々と野球少年の物語を書いていたので私もそのいくつかは愛読したものだ。ストーリー展開の処々に野球の技術やマナー、ちょっとしたミソのようなことを散りばめてあるのが面白く、たとえばいいピッチャーの投げる伸びのある球は打者の前でホップするのだとか、ある球種を投げる際の投球フォームや仕草の癖を相手チームに見抜かれると、どんなに威力のあるボールを投げても打たれてしまうといったことを、私はサトーハチローの少年野球小説を読んで知ったのだった。この健吉青年の物語もそうした一篇だったに違いない。(サトーハチロー作詞で灰田勝彦が歌ってヒットした「野球小僧」という曲を、一定以上の年配の人なら覚えているであろう。)

(この項続く)

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