随談第558回 今月のあれこれ

今月の歌舞伎座については新聞に書いた以上のことを多く語る必要はあるまい。二代目松禄追善がらみの出し物に、音羽屋畑とは縁があまりなかった仁左衛門に玉三郎がそれぞれの得意のものを出して昼夜に並べたという、互いに隣りのテーブルを気にし合いながら、別々に注文した料理を食べているような按配で、玉三郎が『文七元結』に角海老の女将で出るが何だか気もそぞろで身に沁みないようだし、仁左衛門が『髪結新三』に加賀屋藤兵衛で出れば、あんないい男の婿が来るならお熊は忠七と駆け落ちしなくてもいいのではないかと余計なことを思わせたり、ご馳走というよりお付き合いというところ。(それにしても玉三郎の角海老の女将は、時々、せりふに呂律が回らないような妙な口跡が気になる。今に始まったことではないが、今回はとりわけ気になった。)

菊五郎が『髪結新三』に鰹売りで出る。菊十郎直伝だそうだが

流石に「カッツオカッツオ」という呼び声のあの最初の「カ」の音が出ない。(そうやすやすと出たら大変で、菊十郎は上がったりになってしまう。)しかしそれもご愛嬌で、こちらはまさしくご馳走になっている。菊五郎は『文七元結』でも見事に音羽屋一門の統領としての貫録を示して、追善の実を上げた。ここらが、菊五郎劇団を伊達に名乗ってはいない値打ちである。

松緑の新三についてかなり辛辣な声も幕間に聞いたが、私は必ずしもそうとばかりは思わない。たしかに、祖父の新三とは違う。勘三郎二代の新三のように、親子よく似ていながら独自の新三を作れれば一番幸せだったろうが、そう行かないからと言って即ちダメというのは、ちと料簡が狭いというものだ。二、三、四と、松緑三代は一見それぞれ柄も芸の色も違うが、マッチョな男っぽさというひと筋で紛れもなくつながる。その一筋でつながれば、新三が祖父ほど粋でなくたって構うことはない。(その祖父だって、はじめて新三をした頃は、師匠の六代目菊五郎と比べられて、同じ江戸前でも六代目は鮎だが松緑はサンマだなどと言われたのだ。)

音羽屋ビル内に店舗を借りて店を出したような風情の仁左衛門と玉三郎だが、「のれん街」の支店よろしく『大蔵譚』に『阿古屋』という銘柄品を並べる。もっとも『大蔵譚』は」東京初進出という攻めの姿勢だが、玉三郎は『阿古屋』でわが城を守り抜こうという態勢。大蔵卿は、幕切れに勘解由の切首を放り出したり、いろいろユニークな型を見せるが、何より、平家に従わないだけでなく、為義や義朝ら源氏方の大将連にも批判の目を向けていることをくっきりと示したのが気に入った。それでこそ、この風雅の士の作り阿呆は一段と奥行を深くするのだ。

『阿古屋』は、最上のときを10とすれば7か8かというところ。新聞にも書いたように、一世一代と謳ってこそいないが、そうした心でつとめているように察しられた。

逸すべからざるもの。『音羽嶽だんまり』の梅枝の七綾姫の古典美。音羽屋に右近あれば萬屋に梅枝ありというところか。

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国立劇場の『伊勢音頭』についても新聞評をご覧いただきたいが、それだけでは愛嬌がないから、各界各氏の一口評を以下に掲げることにする。

国立劇場鑑賞講座講師氏曰く。「相の山」から「二見ヶ浦」までを見、「太々講」をご覧になって、「油屋」まで至る青江下坂と折紙を巡る顛末と人物関係がよくおわかりになったと思います。

辛口君曰く。よくわかるということと芝居が面白いということの違いもよくかった。

甘口君曰く。新聞評をごらんください。

眠り続け、時々目を開けていた元総理曰く。二見ヶ浦に五輪エンブレムみたいな日の丸が昇ってきたのでびっくりした! 感動した!

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幸四郎がまたまた『ラ・マンチャの男』を出したが、これは掛け値なしによかった。何時のが一番よかったかと言い出せば、人さまざまに甲論乙駁あるだろうが、私は今度が一番素直に心に沁みた。『ラ・マンチャの男』という芝居の骨法がしっくりと見えてきて、あゝ、こういう芝居だったのだ、と改めてよくわかった。

思うに、幸四郎もいい年配になって、野心やら気負いやら、解釈やら、いろいろなものが削げ落ちてきて、役への共感が自然な形で顕われるようになったのではあるまいか。それが、同じように齢を取ったこちらにも、素直に伝わってきたのだと思われる。歌舞伎も含めて、私は幸四郎に今回ほど親近感を覚えながら見たことはなかったような気がする。

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スーパー歌舞伎Ⅱ『ワンピース』を見る。原作も知らず、そもそも『ワンピース』の何たるかも、今度の上演がなかったら知らなかったような状態で見たのだったが、なかなか面白かった。スーパー歌舞伎にはふさわしい題材で、前回の第一作はテーマが内向して辛気臭いのが玉に瑕だったが、今度のこれは、「哲学」もメッセージ性もありながら明快で、そのために芝居が暗く淀まないのがスーパー歌舞伎にふさわしい。スーパー歌舞伎はこれでいいのだ。要するに当世流『里見八犬伝』みたいなものだが、脚本の横内謙介も、かつて猿翁のために書いた『八犬伝』ではテーマ性ということに足を取られて少々ならず押しつけがましいのに辟易させられたが、その後の『三国志』でコツを会得したためか、それともオトナになったためか、ともあれ、脚本の差す手引く手の按配よろしきを得るようになったのは喜ばしい。序幕の筋売りをもう少し大胆にしてもよかったとか、ラストのメッセージが猿翁風にややくどくなったとか、言い出せばないわけではないが、主人公が試練に逢って悩みはしても、あれこれ内向してぐだぐだするのでないところは、おそらく原作のキャラの多くの支持を集めている理由なのであろう。

猿之助もいいが、竹三郎、笑三郎、春猿、笑也ら一座の女形連が、アヤシクもおもしろい。
        
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秋場所は照ノ富士の快進撃をいい気分で楽しんでいたのが、皮肉にも私の見に行った13日目の土俵で稀勢の里に寄り倒された一番で膝を痛めるという思い掛けないことになってしまった。そもそも13日目の切符を買ったのは、横綱大関が揃って皆勤すれば白鵬と照ノ富士の一番が組まれることが予測されるからだったが、横綱二人が休場という予期せぬ事態で目論見がはずれたのは余儀ないこととして、あの怪我は何ともつまらないことをしてしまったものだ。寄り倒しと言っても、稀勢の里が寄り立てるのをこらえて重ね餅になって倒れたというのと違って、いきなり照ノ富士だけが背中にべっとり砂をつける形で倒れたのだから、見ている限りでは腰が入り過ぎたのかと思ったのだが、膝の負傷とは狐につままれたようなものだ。千秋楽の本割で鶴竜を圧倒した一番を見てどうにか溜飲を下げることが出来たが、照ノ富士が故障を押して出場を続けた心意気は天晴れとしても、膝の故障は将来に関わりかねない。兄弟子の安美錦が両膝の疾患で苦労している姿を目の当たりに見ているのだから、致命傷とならないうちに完治しないと,本人ばかりか相撲界の将来を左右しかねないことになりかねない。

ところで今場所の世上の話題といえば、鶴竜が栃煌山戦と稀勢の里戦で見せた立会いの変化の是非についてだが、稀勢の里戦は相手も大関、行司に止められ仕切り直しとなって右と左へ飛び分けた(?)ところは、技能派鶴竜ならではともいえる。(それにつけても稀勢の里の勝負弱さよ!)むしろ格下の栃煌山相手に飛んだことの方が、オヤオヤと思わされた。もっともその栃煌山が翌日の照ノ富士に奮起一番、初黒星をつけたのだから、鶴竜があの立会い変化で得た勝ちは、意味深長な伏線となったことになる。

曲もなく飛び、手もなくひっかかる相撲が続けばしらけてくるのはもちろんだが、双葉山まで持ち出してあまり仰々しい批判をするのもちとついて行きかねる。(中には、叩き込みや引き技は禁じ手とすべきだなどと(冗談半分にせよ)言い出す向きもあるらしい。)要は、見る者を納得させられるかどうかであって、立会い一瞬の変化で今なお鮮やかに覚えているのが、昭和33年初場所、優勝を争う栃錦若乃花の決戦ががっぷり四つのまま二度水が入っても勝負つかず、10分後取り直しとなって再び対戦、若乃花大きく右へ飛んで小手投げ一閃、栃錦左外掛けで防いだが及ばず、若乃花に名を成さしめた一番で、栃錦贔屓の私としては無念ではあったが若乃花の豪胆な機略に驚きはしても、卑怯だとは思いもしなかった。あの一番で、若乃花が立会い飛んだことを非難した人はおそらくいなかったのではあるまいか。若乃花はこの一番で優勝と横綱昇進を決定的にし、以後これを境に、年齢で4年、土俵経歴で7~8年の開きのある両者の全盛期が入れ替わる分水嶺となったという意味からも、数ある栃若決戦の中でも頂点に立つ一番であったと思っている。(今も時々放映される、翌々35年春場所の両者全勝同士での一番は、あれが両者最後の対戦となったことからも知れるように全盛期を過ぎたもので、じつは栃錦贔屓としては少々物足りない憾みがある。)
     
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別項として連載中の「映画の中のプロ野球」で昭和20~30年代の映画に出てくるプロ野球のことを書いているが、つい先日NHKのBSの番組で、昭和11年の巨人阪神戦のフィルムが発見されたというのを、寸前で気が付いて録画することが出来た。わずか2分間の映像だが無限のことがそこに映っている。

沢村栄治の投球フォームが一球だけにせよ映っていたのが、番組としてはメインの話題だったが、それ以外にも、阪神の景浦や若林が映っていたり、巨人の二塁手が三原、三塁手が水原であったりする中にも、背番号18という一塁走者がこの試合の巨人の先発投手前川八郎で、数年前。95歳だかの高齢で始球式をしたときのニュースは当時見た覚えがあるが、その息子という方が出てきて、これが父ですと証言したのには驚かされた。前川という名前の投手が巨人軍の前身の、ベーブルース等の全米軍を迎えた全日本軍の時からいたことは小学生時分から知ってはいたが、あまりパッとした印象のない存在だけに、有名選手の映像を見るのとまたひと味違う感慨がある。プロ野球は早くにやめて、別所・青田のいた時代の滝川中学の監督であったことは今度知った。背番号18をつけているのは主戦投手と目されていたからだろうか? 

背番号と言えば藤本監督が22をつけているが、戦後、少年時代の私が見覚えた頃は、どのチームも監督の背番号は30と決まっていたようなものだったが、してみるとあの慣例はいつごろからできたのだろう? 番組の途中から金田正一氏が登場して,沢村の投球フォームについて、俺と同じだと言っていたのは、手前味噌のようでいながら説得力があって面白かった。

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ラグビーが久々に脚光を浴びることになったのは結構なことである。私など、サッカーよりラグビーの方に親しむ機会が多かったので、別にサッカーに恨みがあるわけではないが、Jリーグが出現してあれよあれよという間にサッカー一辺倒になってしまったかのような状況に、違和感を覚えていた。

オールジャパンと言いながら、フィフティーンの4割方は外国人というのは、比率から言ったら大相撲の外人力士どころではないにも拘らず、俄かラグビーファンたちも素直に受け容れているのは面白い。その一方、ラグビー発祥国のイギリスは、イングランドだスコットランドだウェールズだと、別々に出てくる。その伝で行くなら、日本も、北海道だ関東だ九州だと、何チームも出場するようになればいいのだ。

五郎丸選手の「ルーティン」が人気だが、ちと手数が多すぎるのが気になる。その内、キックは何秒以内にすべし、等と新規定が作られたりしなければいいが。水泳では、日本選手が金メダルを取った泳法にクレームがついたり禁止になったりしたものだが。

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