随談第560回 私家版・BC級映画名鑑 第7回 映画の中のプロ野球(番外)『秀子の応援団長』&『三太と千代の山』(その1)

「映画の中のプロ野球」と題して、第一回の『一刀斎は背番号6』から、戦後という「新時代」をシンボリックに映し出すものとしてプロ野球隆盛の様を映像に写し撮った作品を見てきたが、ここで番外として、戦前の作品に登場するプロ野球と、戦後プロ野球と並んで最も親しい存在だった大相撲を扱った作品を併せて見てみようという趣向である。『秀子の応援団長』には少女時代の高峰秀子の人気を反映した作という興味もあるが、『三太と千代の山』の方は、都会と地方の違いはあっても、子供たちの身なりや表情ひとつにも、昭和20年代という、貧しくも、ある意味で良き時代でもあった当時に小学生時代を過した者には、郷愁にも似た懐かしさを覚える作でもある。

まず『秀子の応援団長』から取り掛かることにするが、実はこの作のことはこの随談の第386回で触れたことがある。昭和15年、高峰秀子14歳の折、今で言うアイドルとしてしきりに作られた秀子映画の一作だが、その翌年の『秀子の車掌さん』は、監督も成瀬巳喜男だし、原作の井伏鱒二お得意の甲州の田園牧歌的ムードを生かして、こっちの方が映画として上等であることは確かだし、高峰としても後年を思わせる才質もほの見えて、もし「高峰秀子論」をするなら貴重な作だろうが、有名な『綴り方教室』とか、更に翌年の、こちらは名画の誉れ高い『馬』といい、14、5、6歳ごろの高峰秀子の可愛らしさというものは、いま見てもたしかに素晴らしい。が、それはそれとして『応援団長』にはいかにもBC級作品らしい懐かしさにある種の「感動」があって捨てがたい。高峰の自伝『私の渡世日記』を読むと、当の本人は忙しくて完成試写も映画館でも見るヒマがなかったと書いている、つまりあまり気もなければ愛着もないような作品なのだが。

この『応援団長』での高峰は、成上がりとはいえ金持ちの令嬢という設定で、伯父が「アトラス」なるプロ野球チームの監督で(この役を何とまだ壮年の千田是也がやっていて、戦後のいかにも新劇のボス丸出しみたいな千田しか知らない私には、大袈裟にいえば、新劇史を見直してみようかと思わせられるほどの感慨がある)、エースが出征して戦地へ行ってしまった後釜として新エースとなった第二投手が散々の出来で連戦連敗の中、秀子の作詞作曲した応援歌が俄然チームを奮い立たせる、という、つまりアイドル秀子がお目当ての「他愛もない」作なわけだが、それにもかかわらず私が「感動」したのは、14歳の高峰の初々しさと重ね合わせて画面からたちのぼってくる昭和15年という時代が持っていた「空気」であり、それを伝えてくれるのが往時の後楽園球場のグラウンドやスタンドのたたずまいだからである。戦中、グラウンドが芋畑になったりスタンドに高射砲陣地が出来たりしたものの、空襲で壊滅していない有難さは、往年のそれが映し出されるだけで、私の知る戦後のそれと重ね合わせると千万言に優るものがある。旧き善き「戦前」が辛うじてまだ保たれていた、あるひとつの時代。それは、「戦後」を知る我々だからこそ感じ取るのであって、昭和15年という「現在」に生きていた人たちにとっては知る由もなかったものかも知れない。

「アトラス」の対戦相手の各チームの選手のショットが映る。これがみな「本物」だというところに、この映画の製作者たちがおそらく予期していなかったであろう、「不朽の」価値があると言っても過言ではあるまい。巨人の攻撃が満塁で、一塁走者がスタルヒン、二塁走者が水原、三塁が(後に戦死する)吉原という(「アトラス」からすれば)ピンチに中島治康が打席に入ってニヤリと不敵に笑う。(中島治康という名前を懐かしいと思う人は、いまはもう後期高齢者に限られてしまったろう。今日野球通を以って任じているような人の口から中島の名が出たのを私は聞いたことがない。戦前を代表するホームラン打者で、ワンバウンドの投球を打ってホームランにしたという逸話は知られているが、戦後まで活躍したから幼い目で見た風格あるその巨体はよく覚えている。今で言えばライオンズの中村剛也か。その巨躯から和製ベーブともいわれたが、もう少し通っぽく言うと、戦後の赤バット青バット時代以降の(つまり『エノケンのホームラン王』に描かれている)ホームラン量産時代以前のホームラン打者という意味から、ベーブルース出現以前の代表的ホームラン打者とされるホームラン・ベーカーになぞらえられる。ベールース以前のベースボールを象徴する選手として、頭脳的な打法と走塁で知られるタイ・カップの名はその再来ともいえるイチローのお蔭で甦ったが、よほど飛ばないボールが支持されて年間10本も打てば本塁打王になるような時代が再び巡ってこない限り、ホームラン・ベーカーの名が甦る機会はまずないだろう。つまり、中島治康の名も。)

それにしてもこの塁上に走者としている3人から類推される打順はどう考えても変テコだ。この辺も、野球映画としてはデタラメデだが、製作側としては当時の巨人軍の三大スターに出てもらったということだろう。沢村は既にいず、川上は、売り出してはいたがこの3人には及ばない、ということか。)水原は、この9年後にシベリアから帰還したときにさえ、まだ現役の三塁手としてプレーする気でいたという話を聞いたことがある。巨人以外のチームとの対戦場面では、のちに中日の四番打者として鳴らした西沢が、当時はまだ投手として投げている。その他、さすがに昭和15年当時の選手となると、ほんの一瞬の短いショットでは、私にはその多くが見分けがつかないのが残念だが、野口二郎や阪神の景浦も写っていたようだ。

散々打ち込まれて悩むアトラスの代理エースがもうひとりの主人公で、灰田勝彦がやっていて有名な『煌く星座』を劇中で歌う。つまり「男純情の」に始まるあの有名な歌はこの映画の主題歌なのだ。灰田勝彦は戦後も大活躍して少年時代の私の記憶にも懐かしい歌手だが、昭和24年、戦争を挟んで9年後の『銀座カンカン娘』でも、高峰と灰田は似合いのコンビと見做されていたことがわかる。その最初の出会いの作品というわけだが、『私の渡世日記』によると、この作品の撮影中に高峰と灰田は顔を合わせたことはないという。つまり二人のシーンは別々に撮ったものの合成だったわけだが、それでも、まさに縁は異なものというべく、ハワイ育ちで湿潤なところのない灰田と、明るく闊達な若き日の高峰は、たしかに一脈通じ合う。こうした作品に写っている大女優・名女優になる前の高峰秀子の何というナツカシサ。それはある種のデ・ジャ・ヴュであって、かつてを知る知らないに拘わらないことだ。後年の「名女優」高峰が、いつも、やり切れないようなウンザリ顔ばかり見せることになるのと不思議なほどの好対照だが、これは高峰秀子論のひとつのテーマになり得るであろう。(この項つづく)

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