随談第562回 今月の舞台から

11月の歌舞伎座が十一代目團十郎50年祭というので、私が担当しているカルチャーの教室で受講者の方々と私の手持ちの十一代目の古いVTRを一緒に見た。格別の珍品ではない。昭和40年3月歌舞伎座での七世幸四郎17回忌の折の『勧進帳』で、このときは團十郎・白鸚八世幸四郎・二世松緑の三兄弟で弁慶と富樫を一日替わり、義経も延若・後の七世芝翫の先先代福助・雀右衛門が一日替わりするので、すべての組み合わせを見ようと思ったらほぼ毎日見なければならなくなるという騒ぎだったが、VTRに映像が残っているのは團十郎の弁慶、松緑の富樫、延若の義経という顔合わせのものである。何度も見て知っている映像だが、改めてそのスケールの大きい役者ぶりに感嘆久しうした。映像の時とは別の日に実際の舞台も見ているが、当時思っていた以上に、掛け替えのない人であったことが今更の如くに思われる。

不器用という評判だった通り、いかにも武骨不器用、減点法で採点でもしたら点数を引かれるところは多々あろうが、しかしこれほど荒事の骨格を備えた弁慶らしい弁慶は、以降、遂に見ることがない。歌舞伎座の筋書にも書いたが、その芸質を一言で言うなら「豪宕」というべく、その魅力を一言で言うなら「男性美」というべきであろう。

(それはそれとして、この松緑の富樫も、いま見ると実に見事でほとんど模範的といっていい。当時の通念としては、白鸚または松緑の弁慶に團十郎の富樫というのがベスト配役とされていたこともあって、むしろ不慣れな役で兄貴につきあった兄弟愛の方が話題だったかもしれない。)

海老蔵は祖父似と言われるが,痩身痩躯という外観、一種のeccentricityを蔵した気質に、たしかに共通するものを覚えることはある。『若き日の信長』に父十二代目よりも役との親近性があり、『河内山』ではそれが役への屈折として顕われる分、「広間」「書院」では変化球の面白さが生きるが、「玄関先」では如何にも若輩ぶりを露呈する。まあこれは、年配から言って余儀ないこととしても(河内山というのは、悪をし尽くした悪党が、ふとした善心から上野の使僧に化けて大名に一杯喰わせる、これ以上はない大博打を打って、「悪に強きは善にも」という、悪党人生の果てに得た悪党哲学と諦念とがブレンドされてそこはかとなく漂ってこその面白さ、つまりは大人の芝居であって、同じことを若造がしたって青臭い悪戯にしかならない。つまり海老蔵にはまだ無理な芝居なのだ)、それよりもセリフがヘロヘロなのがこういう芝居では致命傷となる。もっとも、緋の衣を着たあの扮装はなかなか似合うし、チャームもあるから、延命院日当をしたら面白かろう。

『若き日の信長』では左團次の平手中務がなかなかいい風格で、この人はこの人なりに、ひとつの境地に達しようとしていることが思われる。が、それはそれとして、十二代目が健在でこの役で父子共演をしたら、ということをしきりに思いながら見たのも事実である。

今川の間者僧覚円という役をする右之助が、近頃の人にはちょいとない味な演技を見せる。病気でしばらく休んでいたのが、再起後、いい味を見せるようになった。女形と両方行けるところが、若い時には痛しかゆしになりがちだったが、ここへきて、立役女形それぞれに、うまい具合に発酵するようになった。すっかり世代交代した脇役陣にあって、ひときわ大人の芝居である。

菊五郎の御所五郎蔵、幸四郎の『勧進帳』弁慶、仁左衛門の『千石屋敷』の大石は、いずれも、それぞれの役者人生を反映したそれぞれの到達点と言えば足りるであろう。『御所五郎蔵』では魁春の皐月の隴たけた綺麗さというものも、この人の永い女形としての蓄積の上に底光りがするようで、年代物のワインをちびりとやるような味わいがある。各人それぞれに、それぞれのものを発酵させる年配に達しているのだ。

若い人では染五郎の実盛がよかった。セリフに丸本味が薄いのは難点だが、生締物にドンピシャリの仁のあること、とりわけ爽やかさのあること、この役この狂言にふさわしい夢幻性のあること、素の優しみが役の優しみに通っていること等々、これらの長所がことごとく生きている。妙なことを言うようだが、太郎吉の鼻をチーンとかんでやったり、太郎吉が本物の馬に乗りたそうなそぶりをするのをそれと察してやったりする、いうなら芝居の遊び、入れ事の箇所で、実盛役者の当否が計れると私は思っている。それがないと、20年後のことを予言(予約?)したり、人名はまだしも地名を勝手に命名したりするこの「不思議な小父さん」として、適任者とは言えないのだ。(染五郎より遥かにうまい勘三郎が、夢幻性という一点で、染五郎に一籌を輸するのはこのこと故である。)

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吉右衛門が「由良兵庫助館」を初代以来100年ぶりに復活するというのを「売り」にした国立劇場『神霊矢口渡』だが、周到な準備と条件を整えてしっかり演じさえするなら名作であることは疑いない『岡崎』や『競伊勢物語』と違い、果たしてどういうものやら当りのつけようのなかった代物だが、まずは、吉右衛門充実の日々は今も続いていることを証するに足る仕事ぶりであった。敵方に寝返りと見せてそうでなかったり、わが子を若君の犠牲にしたり、先行名作のあれこれから趣向をパクっている辺り、セミプロ作者福内鬼外先生の面目躍如というところだが、吉右衛門はあくまで正攻法に攻めてまずは見応えは充分ある一幕に仕上げたのは同慶の至りというべきか。歌六のしている江田判官の扱いが原作と違えてあるのが脚本校訂上のミソであろう。名作未満、凡作以上というところ、100年上演されなかったわけもわかるし、だがやってみれば相当の作として見られる。少なくとも、吉右衛門の苦労は無駄ではなかった。

とはいえ、やはり何と言っても『頓兵衛住家』が底光りがして見えるのは手垢がついている有難さだが(艶とは要するに手垢であるとは、かの『陰影礼賛』の説くところである)、そればかりでなく芝雀のお舟の手柄でもある。雀右衛門襲名を前にして着々と打率を稼いでいるところだが、この人の本領はやはりこうした娘方にあることを証明したとも言える。歌六の老役も遂に頓兵衛までつとめるようになって、段四郎休演のいま、これも当代でのものであろう。

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と、言いかけたら、その段四郎が11月から『ワンピース』に出演しているとの報を受けた。10月に寿猿のしていた役をつとめている由。筋書等には、とくに「再起」だの何だのと謳わず、ひっそりと、また不定期な出演の仕方であるらしい。必ずしも楽観は出来ないが、ともあれめでたいことと言わねばなるまい。

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『矢口渡』といえば公演中の一日、伝統歌舞伎保存会の主催による研修発表会が行われ、米吉のお舟、吉之助の頓兵衛、蝶之介の義岑、京由のうてな、吉兵衛の六蔵等々といった配役で「頓兵衛住家」が上演されたが、米吉の娘方としての素質の良さ、吉之助の手強さ、蝶、京由の仁の良さ、吉兵衛の手強さ、それぞれに今後への期待のもてるものであった。先月も亀鶴の貢らで『伊勢音頭』があったが、これもなかなかの好成績だった。一回だけの上演だが、かえってそれがいいのかもしれない。それよりむしろ、ご褒美として機会を与えるということがあっていい。

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加藤治子が亡くなって、マスコミではもっぱら「お母さん女優」として紹介しているのはそれとして自然なことだろうが、たまたま訃報の届いた日、劇場で隣り合わせた小田島雄志さんが、若き日にはじめて「年上で可愛いと思った人」だったと仰っていたのがむべなるかなという感じである。私は小田島さんよりさらにひと回りも下だが、「かわいい」という感じはよくわかる。が、同時に「こわい女」をさせても、というか「女のこわさ」を演じさせてもユニークな人であったと思っている。仮に「日本舞台女優何傑」といった企画を立てるなら相当いいところにつけるのではないか、というのが私の「加藤治子論」の結論である。

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新国立の『桜の園』を見ていて、どういう演技がいいとか、どういう役者が上手いとかいった基準というか、評価の仕方というか、そういったものが随分と変わってしまったなあと、改めて思い遣った。元よりそんなことは、いわゆる70年代の地殻変動以来、常識みたいなものと心得ているつもりだが、それにしても、ここまでくると、遥けくも来つるものかなとため息が出るほどである。

冒頭、ロパーヒンが小間使(などという、ナントカ・ハラスメントだと訴えられはしまいかと心配になりそうな、古めかしい呼称が配役表に書いてあるのは神西清訳を使っているからだ)のドウニャーシャを相手にぼそぼそ、ロクに聞き取れないような調子で喋るのを聞いているだけで、アアこりゃ駄目だ、と私のような時代遅れのむかし気質の者は思ってしまうのだが、カーテンコールでは結構拍手を浴びているし、そもそも演出者が許しているのだから、あれでよしと認められているのだろう。台本の上では対話だが、今度の演出ではほぼ舞台中央に観客に向かって立って、つまりシェイクスピアか何かの冒頭の独白に近い形でこれを言うのだから、なおのことと言わねばならない。

今度のロパーヒン君はひとつの例であって、この手のことに、舞台だけでなくテレビドラマなどでも、ちょいちょいぶつかる。私には妙な癖としか思われない演技が、巧いとされているらしい。しかし私だけが時代遅れなのかと思うと、少なくとも今度の『桜の園』の場合、幕間にロビーで会った演劇関係の顔見知りにそれを言うと、皆ひとしく賛同したのだから、ハテどういう考えればいいのだろうか?

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