随談第3回 勘三郎の『籠釣瓶』(続き)

まもなく勘三郎ご本人から「怒るわけないじゃありませんか」という手紙をもらった。やがて京都の南座で『籠釣瓶』を再演したが、私は見に行けなかった。すると今度は浅草公会堂のロビーで会った。わざわざ向こうから近づいてきて、今度はうまくいった、という話だった。しかしそれからしばらく、上演はなかった。

心に期するところがあったのだ、と知ったのは,襲名披露の演目の中に入っているのを見たときだっだ。正直、三分の不安があった。だがその不安は、序幕を見て消えた。芝居が進んでからも、不安や疑問は入り込む余地がなかった。

問題は笑うのがいいか悪いかではない。次郎左衛門の心情がいかに得心できるかだ。

勘三郎は理解していたのだ。また市蔵たちの演じる同郷の絹商人たちにも、にがりが出来てこの前とは格段の違いである。

私の書いた劇評がどのぐらい役に立ったかはわからない。しかし間違いないのは、勘三郎がこの前の不発の理由をきちんと捕らえ、解決すべきは解決して、襲名の座に上ったということである。勘三郎にその意図があるかどうかは別として、私としては、あちらのコートに打ち込んだボールが、逆にこちらのコートへ打ち返されてきたような気持ちである。

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