随談第7回 上村以和於野球噺(その1)続きの続き

よく覚えているのは、巨人の攻撃で走者一塁のとき、誰だったか痛烈なゴロを一、二塁間に放った。一塁手が横っ飛びに取って二塁へ投げてホースアウト、二塁手がすぐ矢のような送球を一塁へ。誰もがハッとしたが、ワール投手という、おなじみのシールズから大リーガーとなったピッチャーが、いつの間にか一塁塁上にいてパチンと球を受けて(という表現は、そのころ愛読していた『おもしろブック』に載ったルポ風観戦記の一節の記憶による再現である)ダブルプレイが成立した。

いい勉強になったね、キミたちもよく覚えておくんだよ、という口調で、たしか中沢不二雄さんだったか、エライ評論家が書いていたのを思い出す。つまりそんな連携プレイも、当時の日本野球では珍しかったのだ。

もうひとつ、こちらは妙な意味で覚えているのは、何戦目かで、中日の西沢と毎日の別当がホームランを打った。もちろん、ふたりとも大変な強打者なのだが、このとき何かもやもやした感じがあって、彼らを祝福してやる声が何故か盛り上がらない。「誰か」より先に日本人第一号を打ってしまったのがいけなかったのだろうか? いま思い出してもおかしいのは、これはたぶん『ベースボールマガジン』か『ホームラン』かどちらかだったと思うが、日本人が大リーガーからホームランを打って悪い理屈はない、というようなことを書いている記事があったことだ。(たしか鈴木惣太郎さんだったか。)

要するに、そのころの日本野球というのはそういうものだったのだ。

記憶を手繰ればまだまだ切りがないが、まあ、こうした記憶を原点として持っている人間からいうと、野茂から吉田松陰やジョン・万次郎を連想したりするのも、まんざら大袈裟なことでもないのだ。メジャー礼讃を得々と語るアメリカ通の人たちを見ていると、鹿鳴館で得意そうにダンスを踊る洋風紳士とダブルイメージになってくるし、日本のプロ野球のさほどでもないゲームを、スゴイ試合ですねー、などと一生懸命面白がろうとしているアナウンサーの声には、攘夷派の志士を連想してしまう。ハイカラーの洋風紳士がかつての攘夷浪人と同一人物であったりするのは珍しいことではないが、いま本当に大切なのは、日本の野球の実力を掛け値なしにしっかりと見極めることだろう。

その意味でひとつ気になるのは、去年のアテネ・オリンピックが銅メダルに終わったことを、なるべく触れずにいようね、というような感じが、関係者と一般ファンとを問わずありはしないかということだ。もちろん短期決戦だから、強いチームが緒戦敗退ということはあり得る。だから結果をいうのではなくて、しかし認めるべきは認め、指摘すべきは指摘するオープンな感覚が大切なのではないだろうか。自分たちに都合のいい解釈ばかりしていると、太平洋戦争のむかしの軍人たちみたいな夜郎自大に陥りはしないかしらん。

メジャーから帰ってきた人たちに興味があると書きながら、そのままになっているが忘れたわけではない。ちっとも歌舞伎の話にならないではないかと思う人もあるかもしれないが、これでまんざら関係のない話をしているつもりでもないのです。

だいぶ長話になった。きょうの話はこれでおしまい。(その1おわり)

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