上村以和於野球話(その2)まだつづき

やがてお払い箱になって帰ってきたが、日本での扱いは以前とは別ランクの扱いとなった。新庄が水際立った行動を見せたのは、北海道にフランチャイズを移した日ハムを選択した時点からである。

札幌が人口で大阪をしのぐ大都市になり、ドーム球場が当たり前になった以上、札幌を本拠地とする球団ができてしかるべきであり、差し当たり東京ドームに相乗りしている日ハムなどが最適任だとだと、私はかねがね思っていたので、その通りになったのはまさしく欣快事だが、その意義を、日ハムの選手の中で誰よりもワカッテイルのは新庄ではないかという気がする。

Jリーグができたとき、まず思ったのは、後発のプロ組織として当然という以上に、プロ野球のことを、特にその弱点を、じつによく研究しているように見えたことである。プロ野球が1950年に二リーグ制になり、アメリカ流のフランチャイズ制を導入しながら、時代の制約もあったとはいいながら、いかにも不徹底なままに今日に及んでいる。Jリーグはその点を、よくあそこまで踏み切ったと舌を巻くほど、徹底した形とプリンシプルを確定した上で発進した。私はじつはサッカーという競技自体にはどうももうひとつ乗れないのだが、(Jリーグが発足したとき、これをいい機会としてサッカー・ファンになってやろうと務めて見たのだが、ついに乗りそこなった)、プロ野球はJリーグに研究され尽していることを自覚すべきだと、当時も思い、いまも思っている。

ところで新庄だが、身の落ち着け先に、ちょうど札幌に移転した日ハムを選んだ。それと同時に、その言動にアメリカを体験する以前とでは、大人と子供の違いが察知されるようになっていた。先に端倪すべからざる聡明さといったのはここら辺りのことをいったのだが、以前は面白くはあっても浮いていた言動が、ぴたりとツボにはまるようになった。一見同じに見えるおひゃらけぶりの、筋目の通り方が実はまるで違う。その豹変ぶりはみごとといっていい。

自分がまずあって、チームがありファンがある。その反対ではない。しかしチームがありファンがなくてはその自分もない。そういう関係が、しっくり身についているということがなければ、こうはならないだろう。阪神時代の新庄は、たぶんその辺がわかっていなかったか、それをどうアピールすればよいかがわかっていなかった。だから、なにかを言えば、物議をかもした。

錦之助のよさは、永遠ともいうべき若さと明るさである。一言で言えば、はつらつさである。それを新庄に連想するのは、はじめに言ったように、プレイをしているときの姿にであって、素顔がどうのという話ではない。

ちょっとほめすぎたかもしれない。しかしいま、一番面白い選手であることは確かだろう。

このエントリーを Google ブックマーク に追加
Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です