随談第12回 観劇偶談(その5)

紙面の都合で新聞に書く予定がないので、この場で埋め合わせをしよう。前進座の国立劇場公演である。

『佐倉義民伝』は嵐圭史の宗五郎が持ち前の誠実一筋の芸でひたひたと押して行くのが、いかにも前進座らしくて好感が持てる。そうはいっても、根が二枚目役者の上に父祖伝来の和事味が抜きがたく身体に備わっている人だから、翫右衛門から梅之助へと伝承されたものとは、する仕事は同じでも、すっきりとした趣があって肌合いは異なる。序幕の「門訴」で百姓たちとは着るものも違うのはいいが、男前で少々伊達男に見える。そうであっても構わないとも言えるが、観客の共感を得るには身体を考えた衣装を選ぶべきだったか。しかしおのずから一同の頭領であり、ただ誠実に訴えようと説く辺り、押さえは充分利いてよき頭領ぶりである。自宅に帰ってきて、女房や子供に丁寧な言葉遣いで話しかけるところもいかにもその人らしい面影がある。

正直な芸風だから、二代にわたる勘三郎のようにそくそくと情に訴え、子別れで涙腺を刺激するという風にはならない。もっともここは子役次第の一面もあるが。(十七代目勘三郎が旧新橋演舞場でやったときの橋之助のうまかったこと!)

ふつうのやり方だと、宗五郎に警告を伝えにくるのは幻の長吉だが、渡しを渡ったことが役人に知れ、甚兵衛が身を投げて死んだと村人が知らせに来るように合理的改訂がしてあるのも、いかにも前進座である。しかしそれなら、禁制の渡しをわたればこうなることは知れている筈、宗五郎は心無いことをしたようにも見えかねない。パンフレットでも触れているが、「甚兵衛渡し」は「子別れ」の後にしたほうが矛盾がすくなくなる、というのが私の意見である。藤川矢之輔が先月の『息子』以来、老人役ばかりなのは巡りあわせである。

もう一本の『権三と助十』は快調である。大歌舞伎でやるよりも庶民性が強いのは座の体質であり、この芝居ではそれがなにより有効だ。梅雀の権三に中島宏行の助十、国太郎の女房から梅之助の家主以下、いわゆるアンサンルの良さがこういう芝居だとものをいい出す。なかでも味な配役は、ついさっき、宗五郎等の訴えをニベモなくはねつけた六十歳を過ぎた佐倉藩士の役だった山崎竜之助に松浦豊明が、こんどは相長屋の願仁坊主の役というのは、なかなかしゃれている。

このエントリーを Google ブックマーク に追加
Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です