随談第13回 観劇偶談(その6)

これを言うと、エッと不審がられることもあるのだが、新橋演舞場で年一度恒例の「舟木一夫公演」のファンである。芝居が一本にヒットパレード式のコンサートという例の形式だが、芝居も悪くないが、コンサートに於ける舟木一夫の初老のダンディーぶりがなかなかいいのである。

もともとややシャイな清潔感が『高校3年生』以来の売りだったわけだが、それに年の功のちょい不良ぶりがブレンドされて、いろいろな業界・各ジャンルを見回しても、あの齢の取り方というのはたいしたものだと思う。来し方行く末、なにを商売にしても、上手に齢を取るというのはそれだけでも見事といっていい。今年は還暦なので、赤い詰襟を特注したのを着て学園ソングを歌うというシャレがついたが、ぶざまにならないのだからえらい。

本来はむしろ訥弁なのだろうが、それが適度にくだけて、軽いノリではこぶトークも悪くないし、見ものは、客席のファンから手渡される花束だの紙袋入りのプレゼントだの、ときには手紙だのを、歌いながら手がいっぱいになるだけ受け取っては(それを置く台がちゃんと用意してある)適度に捌く具合が、それだけで芸になっている。別にもとからのファンだったわけではないから、『銭形平次』(だけはなんともなつかしいし、小節のきかせかたなど実にいい)などいくつかを除けばあまりなじみというわけではないのだが、退屈することはない。

芝居も、(NHKの朝ドラマ『オードリイ』で、むかしの千恵蔵だの右太衛門だのをミックスしたような剣豪スターの役をやっていたっけ)目張りの入れ方を甘くしすぎるのが玉に瑕として悪くない。筋目の通った演目を選び、脇役に筋目の通った人材を招くあたりにも、腰の座り方がわかる。今年は『瞼の母』だが、水熊のおはまに香川桂子、夜鷹のおとらに英太郎、金町の半次郎の母おむらに一条久枝というのだから、掛け値なしの一級品ぞろいである。

ところで、ここでぜひ書いておきたいのが、その一条久枝である。私はこの人は、現在の日本のすべてのジャンルを通じての女優の中でも、幾人か指折り数えられる第一級の人だと思っている。先代水谷八重子と演じた、たとえば『金閣寺』など、人の世の労苦を誠実に、しかしさらりとたくましく、生き抜いた女を、あくまで脇の分を守りながら演じて,この人ほど、胸を貫く深さを持つ人はいない。大正とか戦前とか戦後とか、いろいろな呼び方をする日本の近代の、その時代その時代の実質感を、その役の人生を感じさせる(繰り返すが、あくまで脇の役の分を律儀に守りながらである)演技をする人はほかに知らない。

だが残念なことに、彼女への評価は、私の見るところ、充分になされているようにはどうも思えない。現にこんどの筋書きの扱いを見ても、上に挙げたあとのお二人に比べ、ひとまわり小さいのだ。そんなこと、どうでもよろしいのですよ、ともしかしたらご当人はおっしゃるかもしれないのだが、私としては、ひそかに切歯扼腕しているのである。

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