随談第17回 観劇偶談(その7)

今日の話題は正確にいえば「観劇」ではなく「画展鑑賞」である。さらに正確にはそのお噂。しかも疾うに期日が過ぎてしまった代物である。「中村吉右衛門スケッチ展」が銀座の吉井画廊で開かれたのは今月の中旬。せめて月が変わらない内に書いておこう。

吉右衛門の画伯としての腕前のほどは、知る人にはつとに知られているが、前に何かの折に見たときの印象にくらべても、一段とすっきりとあくが抜けて、絵筆の技巧の進歩と自身の心境の深まりがうまい具合に、程よく足並みをそろえているような感じを受けた。

お父さんの故白鸚が、若い頃画家志望だったというが、こういうものは、画才ももちろんだが、多分に、それもかなり深いところでの、気質の問題のような気がする。いわゆる「絵心」のあるなしで、もしかすると「人種」の分類ができるかも知れない。実の親子・兄弟でも、絵心のあるなしはまた別のようだ。

ルオーに傾倒しているという播磨屋は、欧州への旅先でも絵筆を取っていて、今度の展示の中でも佳品が多い。強いてルオー調などということを狙ったりしているわけではないが、でもルオーが好きだというのは、見ていてなんとなくわかるような気がする。

しかし今度の展示の中で私が一番気に入ったのは、それとは別に、『秋の歌舞伎座』と題する一点だった。歌舞伎座の前を築地方面へ行き過ぎてすぐの道を左に折れると、ちいさな社があったり、あまり大きくない柿の木が実をならせていたりする、ちょっと閑散とした感じのある一隅がある。歌舞伎座の建物の高いところに小窓があって、そこから朱鷺(とき)色の腰元の衣装をつけた女形の役者が外を眺めている。ちょっぴり哀感があって、それこそ小さい秋がそこにある。そういう、「秋」を描いた一品だった。

「あれがいちばん気に入りました」と言うと、オオと、あのいかにも播磨屋風のシャイな笑顔を見せて、「正面の絵はどなたもお描きになるので、役者ならこういうところを描こうと思いましてね」という答えだった。

後になって、窓辺の美女は誰を描いたのですかと訊くのを忘れたのに気がついた。私の推理では、吉之丞氏をちょっぴり若返らせて描いたのかなと思うのだが、どうですか?

このエントリーを Google ブックマーク に追加
Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です