随談第25回 日記抄

年に一度の邂逅。名づけて「夏至の会」という。

かつて私は翻訳家、でもあった。今を去るざっと二十有数年のむかし、文春文庫が海外ミステリーをその一角にでんと据えた。いや、据えようと試みを始めた。始めたのは、その頃文庫部に着任した堀江礼一氏で、何か新しいことを始めたいと志したのが一切のはじまりであった、と私は理解している。その時点で、氏はその方面のことにはまったくの白紙状態であったはずだ。人も知る通り、文春文庫の海外ミステリーはいまも隆盛だが、その創成期の話である。神話伝説の時代といってもいいが、すべての種はここで蒔かれたのである。

最初の五冊。一冊につき五万部も出したのだから,いまと世の中が違うとはいえ、豪勢な話である。が、売れなかった。思うほどには、という意味だが。あの五冊は人柱だ、とやがて言われることになる。その五冊の中の一冊を、私が翻訳したのでありました。

人柱の甲斐あって、ほどなくシリーズは定着し、隆盛となった。その間の堀江氏の努力のほどはすさまじいもので、隆盛の基(もとい)がその努力によって築かれたのであることは、この業界で知らない者はないはずである。いくつもの新機軸が、いろいろの面で打ち出されて、それもこれも氏のアイデアの産物だった。しかしこういったことについては、私よりももっと詳しく且つ適切に、やがて語る人があるだろう。

ところで「夏至の会」だが、やがて堀江氏が他の部署に転出するまでに手がけた作品の訳者たち、ざっと十余人いるのだが、その連中と氏との間に別れがたき思いがおのずから沸いて出て、せめて年に一度会うことにしようということになったのが始まりであった。その最初が、折からたまたま夏至の頃であったので、毎年七夕ならぬ夏至のころに一夕を共にするという意から、その名がついた。

別に何をするのでもない。うまいものを喰ってうまい酒を飲みつつ歓談・閑談をする。ただそれだけである。商売がらみの話はその場では一切しない。だれが決めたともなく、そういう不文律がおのずから醸成された。一番肝要なのは、何を喰いながらかということで、そこで毎回事前に、堀江氏ほか一名が交代で、物見役として会場をきめる下検分をすることに、これはみなの合意で決まった。

以来四半世紀。その間、さまざまな変動がおのずからあり、関わり様に濃淡深浅ができるのは当然だが、ごく一部の例外を除いて、みずから離れていってしまったという人はいない。私のように、翻訳家でなくなってしまった者でも、一度の例外を除いて皆勤している。(「勤」はおかしいか。)

今年も、その年に一度のたのしみが、ついこの前の週末、もようされた。出席者は七名。みな変わりはないが、変わった点といえば、頭髪の黒白と濃薄のおのずからなる変容と、食べる量の若干の変化、ぐらいのものか。

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