随談第26回 観劇偶談(その10)

池袋の新文芸座で美空ひばり映画特集が2週間ほどあったので、2日ほど覗いてきた。メニューは一日二本立てで日替わりなので、その日都合がつかなければそれっきりである。

橋蔵・雷蔵・錦之助を相手にした『笛吹き若武者』『お夏清十郎』『ひよどり草紙』の3作を見ることが出来たから最小限度のお目当ては達成したわけだが、(ついでに『大江戸喧嘩纏』という橋蔵ものも見たが不出来な作だった。せっかくの機会なのだからもう少しマシなものはなかったか。たとえば東千代之介との『振袖競艶録』というのは実は『鏡山旧錦絵』を踏まえていて、ひばりのお初に千原しのぶの尾上、浦里はるみの岩藤という三役揃った配役は、これほどの柄と仁の揃うことは歌舞伎でだってそうざらにはないだろう)、『伊豆の踊り子』『お嬢さん社長』(佐田啓二が相手役だ)という松竹時代の作品が見られなかったのがちょいと心残りである。

昭和28,9年、ちょうど娘盛りになったころのひばりというのは、大家になってから後のイメージからはちょっと想像しにくい、高音のきいた歌声とともに、単に懐かしいだけでなく、「別のひばり」になり得た可能性を持っていたと思う。深尾須磨子がひばりのために作詞をした『日和下駄』とか、『お針子ミミイの日曜日』などという和風シャンソンを歌ったり、ひばり生涯のうちの「短日の秋天」の趣きがある。

『伊豆の踊り子』は野村芳太郎若き日の佳作だが、この中でひばりが歌う「三宅出るとき誰が来て泣いた、石のよな手でばばさまが、マメで暮らせとほろほろ泣いた、椿ほろほろ散っていた」で始まる曲は、何故かあまり喧伝されないので知る人もすくないようだが、ひばりの歌と限らず、日本の歌謡史という視点に立ってもユニークな名曲だと思う。短い旋律を繰り返し歌いながら、微妙にヴァリエーションがきいてゆく具合が絶妙で、ひばり歌謡としても屈指の名歌唱と、私はひとりひそかに信じているのだが・・・。ちなみにこの歌の最後は、「絵島生島別れていても、こころ大島燃える島」というのである。

ところで、『笛吹き若武者』と『ひよどり草紙』は大川橋蔵と中村錦之助のそれぞれ映画デビュー作だが、いま見ると、こんなに幼かったかなという感は否めない。それに比べると雷蔵は、デビュー作でこそないがデビューの年の作品であることを考えると、驚ろくほど、すでに大人の芸になっている。大店の手代としての清十郎にはさすがに上方歌舞伎の役者らしい和事味があるし、途中から流刑になって、島抜けをして戻ってくるという与三郎みたいな凄味な男に変貌するのだが、そのあたりも冴えている。はじめから幼さというものがない。これは雷蔵論に直結するものだろう。作品としても、あとの二作よりも出来がいい。

しかしそうはいっても、たとえば橋蔵の平敦盛が、一の谷で熊谷直実(大友柳太朗である)に呼び止められ、渚に引き返してくるあたりの優美さはハッとさせるものがあるし、錦之助の前髪立ちの若衆ぶりというものは、まず真似手がない初々しさと、奥に猛々しさを秘めた優美がある。これは橋蔵にも雷蔵にもないものだ。

ひばりをダシにした感もあるが、三人の原点を確認できたことは大収穫だった。

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