随談第28回 上村以和於相撲噺(その5)

前回のおわりに書いたように、中学生の頃に見た都内の巡業の話をしよう。

その頃私は、住所でいうと豊島区西巣鴨、国鉄の大塚と池袋の中間あたりに住んでいた。その辺り一帯、空襲で焼け野が原になったとおぼしく、ちょっと穴を掘るといろいろな瓦礫がでてきたものだ。大塚駅前はまだ空襲の痛手から立ち直りきれずにいる感じで、昔は池袋よりこっちの方が盛っていたのに、というような話もちらりと聞いた。

その大塚駅前の小さな広場に、二所ノ関一門の巡業がきたのは、中学一年の年の秋の学期がはじまってまもなくだった。当時の二所一門というのは、NHKの相撲解説で有名になった初代玉ノ海や神風が廃業したり、大ノ海が独立して杉並に花籠部屋を起こしたり、結束の悪さがとかくいわれていたが、そのときは揃ってやってきた。のちに佐渡ケ嶽部屋を起こす先代の琴錦、のちに大関になった内掛の名人の琴ケ浜、ガダルカナル帰還兵の荒法師二代目玉の海、それに当時小結だった初代若乃花という曲者ぞろい、多士済々ではあったが、前年に佐賀ノ花が引退して以来大関以上がいない。若乃花はまだ目玉商品というほどではない。

夜相撲だった。夕方からはじまって、しょっきりだの、学生相撲の選手と幕下力士の五人抜きだのをやっている内にとっぷりと暮れて、いい雰囲気になる。五人抜きははじめプロのほうが旗色が悪くて、あと一人というところまで追い詰められてから、さーっと勝ってしまった。もしかするとアマチュア相撲へのサービスだったのもかもしれない。

やがて本割りが始まる。控えに座った若乃花が、うしろを振り返って子供の見物に何か笑いながら言っている。そのすぐそばにいた同級生に後できくと、若乃花は、オイ俺にもそのキャラメルくれよ、といって、わたすとちゃんと舐めてくれたそうだ。若乃花は夜間の照明(いったって裸電球だが)に映えて、肌の色がとてもきれいだった。

出羽の海一門がやって来たのは翌年の十月、秋場所が終わって間もなくだった。夏・秋と連覇した栃錦が横綱に昇進して、つい二、三日前に奉納の土俵入りを行なったばかり、つまりほやほやの新横綱を私たちは見たことになる。こんどは、大塚駅の反対側にあった、われわれのとは別の中学校の校庭が舞台だった。このときは、午後の授業をつぶして学校中で見に行った。

出羽一門は二所一門と違って大所帯、人材も豊富である。横綱が千代の山と栃錦とふたりもいる。栃錦は春日野部屋だが、出羽一門として行動を共にするのだ。通りすがりに窓を覗くと出羽錦が座っていた。二本差しの名人なのでリャンコの信夫とか、柔らか味のある色白で、腰を振って歩く癖からモンロウ・ウォークの信夫と仇名がある小野川部屋の信夫山が、校庭の片隅に棒切れで円を描いて、取り的たちに山稽古をさせている。口を開けて相撲をとるな、歯を食いしばれ、と言っている。(その頃は、本場所がはじまると、誰いうともなく校庭に円を描いて相撲を取ったものだ。)山のように大きいのは大起である。

音に聞く夢の英雄たちが自分たちの住む街や校庭にやってくる。その親近感、その臨場感。こういう感覚は、いまの大相撲にあるのだろうか。

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