随談第39回 観劇偶談(その15)

この三年ほど、毎年八月の楽しみは桂歌丸の円朝シリーズを聞くことである。落語を聞きに寄席や落語会に通うということをしなくなってから久しいが、いい噺家のいい話を聞きたいという欲求は常にある。しかし聞きに行くという習慣、そのための情報収集の努力をなくしてしまったので、別に文楽・志ん生爺だの円生・彦六爺だのを気取る気はさらさらないにもかかわらず、いま盛りの人たちはほとんど聞いていない。

去年の夏、浅草演芸場の前を通りかかって、こぶ平がトリを取っているというのでふらりと入って、久しぶりにいい気分を味わった。勢いがあって、昔の三平とよく似ていながら違うべきところは違う、自分の話芸を確立している噺家ならではの快さがあった。いい正蔵になるに違いないと思った。

一番熱心に通ったのは、その正蔵の先代(彦六というのはどうもピンと来ない)や円生、小さん、先代(といわなければならないのだね)馬生などがいろいろな落語会の常連だった時代で、この人たちそれぞれに一番油の乗ったところを聞いたのだと思う。文楽はやや衰えが見えていたが、むしろそうなってからの境地のようなものもあったと思う。文楽というと、きちっと決まった芸ということばかりが言われるのは、それ自体はもちろん間違っていないが、文楽という噺家の真髄を語ることにはならないように思う。最後の年の春に聞いた「景清」などは、みずから陶酔境に入りつつ客席をもそれで包み込んだ忘れがたい名演だった。すぐに席を立つ気になれず、しばらくそのまま座っていたかった。

ところで歌丸だが、この人の語り口がいま言ったような、つまり私が一番親しんだ世代の人たちに通じる味わいをもっているのが、私には快い。落語を聞く快感というのは、つまるところ、噺家の語り口を聞くところにあるのだと私は思っている。つまり文章でいえば文体である。漱石でも鴎外でも荷風でも、それぞれあの文体をもって語ればこそ、その説くところが身に染み入るのとおなじである。

歌丸の語り口が円生を彷彿させるのはおそらく円生をよく研究しているとおぼしく、しかし円生には円生の仁があり、歌丸には歌丸の仁がある。もちろん円生を知らない世代の人が歌丸を聞いて、それはそれで充分に堪能することができる。しかしたまたま円生をも知っていれば、歌丸の語り口に円生の語り口をダブらせ、しかし歌丸自身の語り口がそこから立ち上がってくるのを愉しむこともできる。落語が伝統芸だということの真髄はその辺りにあるのだと思った。

おととしから始まった『牡丹灯篭』が、「お札はがし」「幸手堤」ときて今年が「関口屋」。

伴蔵、山本志丈、お国、宮野辺源次郎といった人物たちを、義太夫でいう「カワリ」とも通じ合う、わずかな間、わずかな口調の変化、わずかな仕草、わずかなこなしひとつで歯切れよく、くっきりと語り分け、描き出してゆく、その面白さあざやかさ。ひさしぶりにいい「噺」を聞いた満足は、落語ならでは味わえないものだ。

「関口屋」はやや地味で、暗い噺だからと一席終わった後で、芝翫さんでも踊れないような踊り、といって「どうぞかなえて」を踊って見せた。まさに噺家の踊りであった。

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