随談第565回 私家版・BC級映画名鑑 第8回 映画の中のプロ野球(番外その3・映画の中の大相撲2)『名寄岩 涙の敢闘賞』

前回(随談第561回)、「映画の中のプロ野球」の「番外その2」として『三太と千代の山』を紹介したが、先月たまたま神保町シアターで『名寄岩・涙の敢闘賞』を見る機会が出来たので、これ幸い、「番外その3」として加えることにしたい。神保町シアターの企画としては、「作曲家小杉太一郎の仕事」という中の一作としての上映だった。小杉太一郎は、ちょうど私が中高生でしきりに時代劇映画を見ていた頃に映画音楽の作曲家としてデビューした人で、『血槍富士』とか『黒田騒動』とか、内田吐夢監督と片岡千恵蔵が組んで評判だった作品が懐かしい。

この『名寄岩・涙の敢闘賞』は父の小杉勇の監督で、昭和31年6月封切りの日活映画、前に書いた『川上哲治物語』『若乃花物語』等、本人の出演による一連の伝記ものの先駆ともいえる作だが、昭和29年6月に映画製作を再開した日活が、やがて石原裕次郎や小林旭等の路線を主流にするようになるまでの一時期の、そのまた一時期のささやかなトレンドとしての一作と言える。但し、後続作と違ってこの『涙の敢闘賞』は池波正太郎が新国劇のために書いた脚本が元になっていて、その意味では舞台劇の映画化でもあるわけだが、それだけ作品としての骨格がしっかりして厚みがあり、どこか文芸映画に近いムードさえある。当時の日活は、文芸映画をひとつの路線としていた。

本人がみずから出演して自分自身を演じるというのが売りだが、意外にも、年齢も川上や若乃花より一世代上、気質としても、昔気質で一徹な性格から考えても一番こうした趣向が向いていなさそうに思える名寄岩が、実はなかなかうまいのも面白い。少なくとも、川上などの比ではない。二言三言セリフを言うだけで、あとはスランプを脱するための素振りを繰り返すシーンばかりの川上に比べ、名寄岩は物語の核心となる演技をするのだから、比較の対象にならないようなものだ。演技が上手いというより、その真実味に於いて、本人が出演することの効果が最大限に発揮されたという意味では、相当のベテラン俳優が演じても多分こうは行かなかったろう。まさに巧まざる「名演」と言える。

当時の実況放送のアナウンサーが必ず「老雄名寄岩」と「老雄」の二文字を冠のようにつけて呼ぶのが常だったように、私が実際に見知っている名寄岩は、40歳まで現役を続けた(先頃引退した旭天鵬が名寄岩の記録を破ったというのがささやかなニュースとして、久しぶりに名寄岩の名が音波に乗った)、その晩年の何年間かだが、ちょうどそれがこの映画の核心となる時期に相当する。

若い頃は「怒り金時」(つまり金太郎を思わせるような童顔、体躯で、昂揚すると顔から全身から金太郎のように朱に染まったという)と仇名された一概者で、一徹な人柄を語るエピソードとして、既に幕の内力士となっていながら門限にほんの数分遅れたために小雪の舞う厳寒の冬、翌朝の開門の時刻まで外に佇んで待ったというのは、一種の伝説となって知られていたし、勝ち名乗りを挙げる時に手刀を切って懸賞を受取る作法も、名寄岩が範を示して見せたのが後の手本となったのだとされる。(先頃引退した豊真将は、その限りでは名寄岩の遥かへだたった後継者ということになる。真っ正直な土俵態度やケレン味のない人柄で人気のあった大関の魁傑なども、人気の在り様としては名寄岩と共通する面があった。ひとつの系譜といえよう。)

兄弟子の双葉山、弟弟子の羽黒山と共に立浪三羽烏と呼ばれ、戦中から終戦直後にかけ大関に二度昇進して二度陥落(一度は全敗している)、糖尿病に悩まされていたとは当時から聞いていた。剛力に任せた真っ正直な四つ相撲であったため、体力の低下がそのまま成績に反映され、番付も一時は幕尻近くにまで陥落したが、30代半ばに至って奇跡の復活を遂げ、遂には関脇にまで復帰した。ちょうどその頃関脇から大関に昇進した栃錦が老雄名寄に苦杯を喫した一番を覚えているが、小兵の技能力士であった当時の栃錦は、名寄岩のような力相撲を取る力士を鬼門としたのである。この映画でも、下位に低迷してわずか三勝か四勝しか挙げられなかったそのわずかに上げた勝星の相手の中に、まだ平幕だった若き日の初代若乃花(当時は若ノ花と書いた)の名前がアナウンサーの声として聞こえて来る。(当時の代表的なスポーツ・アナといえばNHKの志村正順アナだった。前に書いた和田信賢から志村正順へというのが、NHKのスポーツ・アナの系譜ということになる。)

映画では、幕尻近くに下がって大きく負越し、休場すれば十両陥落必至となった名寄岩が奇跡のカムバックを遂げ、9勝5敗で迎えた千秋楽の備州山との一番に死力を尽くし、水入りとなっても方屋(かたや)に下りられず土俵上に坐りこみ、再開後も力戦むなしく遂に破れ,受賞には星ひとつ足りないため絶望と思われた敢闘賞が、特別の計らいで授与されることになったという、当時評判となった逸事を頂点として物語られる。山根寿子演じる病身で寝たきりの妻にまだ小学生の男の子がひとり、妻の妹が田舎から見舞いに来たまま帰るに帰られず主婦代り母親代りをつとめるという家庭で、その妹役の高田敏江がなかなかいい。近所の商店街の店主で、かつてその体格のよさに惚れ込んで立浪親方に紹介したという元力士の人情家が沢村国太郎、もう一人名寄贔屓の近所のおっさんが織田政雄。この辺りの配役は人情劇として水も漏らさぬ布陣といえる。(沢村国太郎は、ようやく若手スターとして売り出し始めた倅の長門裕之、津川雅彦と共に製作再開した日活に入ったのだった。)

次の場所も不振が続けば十両陥落は必至、元大関としてそれは引退を意味する。そこへ救いの手を差し伸べたのが新入幕当時から10年余来の贔屓の木暮教授で、勤務する大学の病院に特別のはからいで入院させてくれる。名寄岩は巡業を休んで入院、徹底的な治療の傍ら、付き人の取的を相手に病院の庭で稽古に励む。当初は付き人にも負けてしまう状態だったが、遂に克服、迎えた夏場所で奇跡の復活、敢闘賞を受賞するが、その報を聞きながら妻は後事を妹に託して息絶える。

という筋だけ語れば絵に描いたような人情劇には違いないが、これがほぼすべて事実に基いているところに有無を言わせぬ力があり、切々と訴えてくる情感は決して安手ではない。先に言った名寄岩自身の真実味と、小杉勇監督の外連味のない演出によるところが大きい。

滝澤修演じる恩人の木暮教授とは、日大総長・総裁として日大を今日あらしめた器量人で、歌舞伎通・相撲通としても知られた呉文炳であることは明らかで、名寄岩の入院したのが板橋の日大病院、そこの院長の役が菅井一郎、教授の令嬢の役に当時売り出して間もない芦川いづみが出ているのが、思わずオオと声を上げたくなる清純さだ。呉教授と名寄岩の関係は、名寄岩が新入幕だった昭和12年当時、花道を引き揚げてくる名寄岩を、憧れるように見上げる幼い少年の可愛らしさに思わず抱き上げたのが教授の長男坊だったというのが機縁という、ささやかなエピソードも短いショットで描かれる。当時幼い少女だった妹娘がいまは妙齢となっている(つまり芦川いづみである)という中に、歳月が暗示される。令嬢からの頂戴物のカステラを、家族と付け人に平等に分けるために物差しを当てて切り分ける場面も、正直の上に几帳面な名寄岩の人間を語る実話であろう。

妻初枝の役の山根寿子は登場する場面すべてが病床の上というおよそ発散しない役だが、この時代の女性を演じる上でこれ以上の適役はないであろう。長谷川一夫の相手役として数多くの時代劇を撮っているが、山田五十鈴とまた違った意味で、長谷川とはベスト・コンビであった。日活の製作再開とともに日活に移ったが、その後の日活の路線がアクションもの中心に変わったこともあって、必ずしも恵まれた環境とは言えなかったのが惜しまれる。何度も映画化された『細雪』の最初の阿部豊監督版で雪子をしているが、女の匂いを感じさせるという意味で、おそらく最も雪子らしい雪子であったろう。

ついに引退した名寄岩の断髪式の場面に、兄弟弟子でいまは時津風理事となった双葉山と立浪親方として羽黒山が特別出演する。立浪親方は、劇中では先代親方として林寛がつとめているが、引退の前年に死去したため、名寄岩から見れば弟弟子になる羽黒山が部屋を継いだのだった。この辺の事情は映画では全く説明抜きだがやむを得ないところだろう。羽黒山は、40歳近くまで現役を、それも横綱として続けた強豪力士だったが、最後の数場所は現役横綱として二枚鑑札で親方を兼務したのだった。(栃錦も晩年の数場所、二枚鑑札で春日野部屋を継承したが、現在ではこの制度が無くなったため、親方が場所中に誕生日が来て定年退職すると、後継者が現役力士だった場合、途中休場の形で引退という形になるケースが生じる。どうも釈然としない制度だと思う。近年では、佐渡ヶ嶽部屋が元琴桜から琴の若に移行したときがそうだった。)

断髪式の場面に、髯の伊之助と呼ばれた名物行司式守伊之助の白髯姿や、これも太鼓の名人として知られた呼出し太郎なども映る他、横綱の吉葉山の不知火型の土俵入りや、三根山が支度部屋で贔屓客らしい玄人筋の女性と談笑するショットがあったりするご馳走も、この映画の余禄の内だろう。前述の備州山との水入りの一戦の場面は、既に引退していた元備州山の年寄桐山が髷をつけた現役時代の姿で出演、名寄岩と相撲を取るのだが、どうしてなかなか迫力がある。

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『BC級映画名鑑』の「映画の中のプロ野球(大相撲)」はこの回でひとまず終了、新年からは「大女優のBC級名画」(大女優以前の大女優)を随時連載の予定です。

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