隋談第43回 観劇偶談(その17)

新橋演舞場に久しぶりに新派がかかった。北条秀司作『京舞』である。

よかった、の一語に尽きる。元より手法はなにも新奇なものはない。しかし見終わって思うのは、ここにはまぎれもなく「芝居」があるという実感である。

全3幕で時代が三転する。大正8年、昭和12年、昭和33年。どれも見事に、その年、その時代になっている。もちろん大正8年も昭和12年も、私はまだ生まれていない。しかし舞台は、紛れもなくその年、その時代であることを実感させる。堅牢に作られたものを、確実に、揺るぎなく受け継いでいることが、そう確信させるのだ。

初演は昭和35年である。花柳章太郎、初代水谷八重子といった人たちが、これぞという思いを籠めて作ったものがどういうものか、あらためて思い知らされる。昭和35年といえば、いま振り返れば、大変な名優たちが、それも大どころだけではなく、脇役、それもちょっとした役、こういう役さえさせておけば絶対だ、というような人たちまで、まだたくさんそろってはいたが、しかし当時の社会にあっては、新派はすでに時代に取り残された(または、取り残されつつある)演劇だったのだ。すくなくとも、社会の中で、多くの人にそう思われていた。何しろこの年は、あの日米安保騒動の年である。

もちろん、作者はそれを知っていた。第3幕の昭和33年で、そのことをちゃんと書いている。愛子、つまり四世井上八千代が芸術院賞を受賞したその夜、祇園の舞妓たちが別れるときに「バイバーイ」と言って別れるのである。あえて言うなら、祇園の風情もなにもあったものではないのだ。だが、だからこそ、という思いが作者にこの芝居を書かせたのにちがいない。

その作者の気迫が、三世八千代に重ねられる。昭和12年、半ば呆けたかのような百歳の三世八千代が最後の気迫で見事に『猩々』を舞う。それまでふにゃふにゃしていたのが、「お幕」と一声発して杖を捨てた途端、キッと性根が入るのはまるで講談の塚原卜伝かなにかのようだが、自分の信じるところを固く信じて揺るがない気迫が見るものを圧倒する。だがその昭和12年だって、いうなら多くの人たちが、いまさら井上流でもあるまいといっていたのに違いないのだ。

ちょっと話がそれた。昭和35年、この芝居の初演の時点の新派のことである。まだ名優は健在で、興行的にもそれなりの安定はあった。他ならぬ新橋演舞場を本拠にして、毎月新派が常打ちしていたのだ。しかし、新派はこれでいいのか、ということはもうとっくの昔から言われていた。私は学生だったが、いい若い者が見る芝居とは考えられていなかった。見にいっても,観客の90何パーセントは中高年の女性で、それも、新劇を見に来るような知性的な女性たちとは、あきらかにタイプが違う。まれに男がいても中年以上のおっさんで、学生風の男なんてものは薬にしたくともいなかった。恥ずかしいほどだった。

要するに、そういう中でこの作品は作られたのである。「本物」とか「名工の名品」とかいう紋切り型の言葉は本当はこういうところで使いたくないのだが、しかしまさしくそれに違いないのだ。それにしても、いまの、三世八千代を演じる当代八重子もすばらしい。

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