隋談第44回 上村以和於映画噺(その3)

前回までに書いた「わが映画前史」状態から抜け出して、自分の小遣いで自分の考えで見に行くものを決めて、つまり自主的に見るようになるのは時代劇映画にはまってからだが、その前のグレイゾーンみたいな感じで、大人といっしょに見に行った現代劇映画の、いまとなっては貴重な思い出がある。『晩春』だの『ジャコ万と鉄』だの『自由学校』だのといった名だたる名画や有名作もその中にあるのだが、さほどの「名画」ならざる「普通作」も、単になつかしいというだけでない、わが感性形成の上で貴重な財産になっていることに、近頃気がつくようになった。

『山の彼方に』という映画があった。かの高名な『青い山脈』の亜流というか二番煎じものということに、映画史的にはなるのかもしれないが、当時はかなり評判もよかったはずだし、子供心にも面白い映画だった。石坂洋二郎の小説の映画化で、近江俊郎が歌った主題歌がかなりヒットしたので、映画よりむしろ歌謡史上にはそれなりに残っているに違いない。要するに、典型的な昭和20年代風の東宝映画である。となれば、主演は当然のように池部良で、女優は若山セツ子とか、もうひとり角梨枝子という目の大きい長身の、ちょっと見には原節子風と見えなくもない女優のズボン姿がこのとき話題になった。「ズボンをはく女優」というのが、またその言い方が、いかにも昭和20年代なのである。

堀雄二という、のちに東映の現代劇やテレビの刑事物によく出ていた男優も、この当時の東宝青春映画では案外欠かせない存在で、朴訥な青年役というのが役どころだった。ついこの間、テレビの成瀬巳喜男特集で『石中先生行状記』(これも当時評判の石坂洋二郎もののひとつだった)を見ていたら、この堀雄二が典型的な「朴訥な青年」役ででてきたので、忘れていた記憶がよみがえった。朴訥な青年というのは、女性の前にでると、ぶっきら棒に物を言い、ヤアなどといいながら頭をかく、というのがお決まりの演技である。(考えてみると、ああいうタイプの朴訥な青年というのは、現在では絶滅してしまった種族であるかもしれない。それと同類の性格の若者は、もちろんいまでもいるのだが、表現形態が全然違うのだ。)

井上大助という詰襟俳優も出ていた。詰襟俳優というのは、つまり、旧制中学の生徒をやるとぴたりと来るという存在で、これの松竹版が石浜朗になる。そうだ、おばあちゃん役で飯田蝶子が出ていた。(飯田蝶子は説明不要だろう。小津安二郎の『長屋紳士録』に出てくるあの人である。)

この映画の中で、(『青い山脈』と同様、地方の町が舞台になっている)中学生同士が石合戦をやる場面がある。『たけくらべ』や『坊ちゃん』などをみてもわかるが、昔は隣町同士とか、となりの学校同士とかで、子供や生徒が喧嘩をするというのが当り前のようにあった。この石合戦もそれで、河原で石を投げ合うのだから随分危険な話である。しかしここで面白いのは、上級生がけなげに戦う下級生をかばったり、リードしながら戦うというのが、まるでスポーツみたいに描かれていた。思えばあれが、むかしの少年たち相互の、おのずからなるイニシエーション学習であったのだろう。

このエントリーを Google ブックマーク に追加
Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です