随談第50回 番外・野球噺

今年はついに球場に足を運ぶことなしにシーズンが終わるのかとちょっとさびしく思っていたら、ひょんなきっかけからヤクルト=横浜戦を見る機会ができた。最終戦のひとつ前の神宮球場である。ネット裏の二階席でかなり涼しい夜だったので、生ビールも一杯だけ。おかわりをする気にはならなかった。

とはいえ、やはり野球場はいい。とくに神宮球場は。ドームにもそれなりの良さはあるにしても、やはり野球は野天で試合を見る気分が格別だ。昔の後楽園球場の擂り鉢のようにグラウンドを包む傾斜が生む興奮はまさにコロッセウムだったし、都会の中の緑につつまれた神宮球場の品格は格別だ。

神宮球場が好きなもうひとつの理由は、ブルペンがグラウンド内にあることである。試合を見ながら、ああ、いま誰それがブルペンで投げてるな、などと片目で見やったりするのも欠かせない楽しみの内だと思う。今度引退したベイスターズの佐々木投手が全盛の頃、ブルペンで軽く肩慣らしをしているだけでもまるでほかの投手と違うのがよくわかった。それは、マウンドで投げるのを見るのとはまた別な楽しみである。

選手だって、試合の経過や雰囲気を同じグラウンドで見ながらブルペンにいるのと、全然別な場所で肩を慣らしているのとでは随分違うのではないだろうか。

試合終了後に、選手たちがグラウンドの中を観衆の見ている前を引き上げていく姿が見られるのも、神宮のいいところだ。ああいうときに、試合中のプレイとはまた別な、スターに対する親近感が湧くのだ。相撲噺でも書いたが、前の蔵前国技館では、打ち出したあと、力士たちが群集の中を帰っていくのが、土俵で見るのとはまた別な親しみとあこがれと尊敬の念をどれだけわれわれの心に植え付け、育ててくれたことか。宝塚のファンの出待ちもいいが、あれよりももっと自然な形で「英雄たち」はすぐそこにいたのだ。

試合は、開始前に古田の1千打点の表彰式があり、始まるとすぐに青木選手が第一打席の第一球をあざやかに一、二塁間にヒットして年間200本安打という大記録を作るは、ラミレスがツーラン・ホームランを打つは、最後には、この日限りで引退する40歳の佐藤外野手が代打で出てフェンス直撃の二塁打を打つはで、5対0というスコアでヤクルトが快勝したから、ファンとしても云うところなかったが、もっともシャットアウトを喫した横浜ファンにとっては、発散する機会が少なくてもやもやが残ったかも知れない。

勝負事だから如何ともしがたいことだが、7回だったかのチャンスに2,3点取っていたら、そうしてこの日ベンチにいたクルーンが登板とでもいうことになったなら、ヤクルトファンにとってももっと面白い試合になっただろう。野球は7対6だか8対7だかで終わるのが一番面白いと言ったのはルーズベルトだそうだが、単にシーソーゲームではらはらどきどきというだけでなく、敵も味方もどちらもいいところを見せ、敵方の贔屓も盛り上がり、そうして結局、味方の勝利で終わるのが、理想的なのである。

しかし何より、私にとっての球場の魅力とは、観衆の喧騒の中で白球を目で追いながら、現在と追憶の双方に浸る快感なのかも知れない。

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