随談第56回 上村以和於映画噺(その7)

映画噺は前回でいったん終りと言ったが、新橋演舞場で『児雷也豪傑譚話』を見てきたら、急に映画の児雷也の話をしたくなったので、もう一回だけ続けることにする。

といっても、そういろいろ見ているわけではない。いまの雀右衛門が大谷友右衛門時代に新東宝でとった『忍術児雷也』というのと、東映で千恵蔵の自来也、月形龍之介の大蛇丸、長谷川裕見子の綱手姫という配役の『妖蛇の魔殿』(これは「ようじゃ」ではなく「ようだ」と読むのだった)というのと、このふたつが圧倒的な「名画」で、黙阿弥の歌舞伎脚本(つまり『児雷也豪傑譚話』である)は別とすれば、私の「自来也学」はこの二本の映画に拠っているようなものだ。

友右衛門主演の方は黙阿弥と同じく「児雷也」と書くが、千恵蔵主演の方は「自来也」と書いて「自ずから来たる也」という読みをダブらせている。監督は前者が萩原遼(この人はあの『笛吹童子』『紅孔雀』の監督である。しかし戦前には鳴滝組の一員だったらしい)、後者が松田定次、とばかり記憶していたが、今度の演舞場のパンフレットに轟夕起夫氏が薀蓄を傾けているのを読んで、新東宝版は加藤泰が共同監督であったということを知った。(ついでにいうと、この轟氏の文章には私としては教えられるところ多々あって感謝しているが、児雷也映画の大谷友右衛門が現在の中村雀右衛門であることを一筆つけくわえていない一点だけが腑に落ちない。)

新東宝版の大蛇丸は田崎潤で、いわゆる時代劇俳優でないところに一種奇妙な面白さがあって、今度はそちらが主役で『逆襲大蛇丸』という続編ができたが、それは見なかった。この人は当時新東宝で『明治一代女』の巳之吉をやったりしている。綱手姫は利根はる恵だと覚えているが違ったか知らん。(この人もつい最近亡くなったという記事を読んだと思う。)すくなくとも中学生だったわれわれには大人のムードのある、その分好きという感じにはなりにくいところがあったが、総じてこの世代の女優さんは、他にも幾野道子とか澤村晶子(この人は澤村藤十郎のお姉さんである。顔も藤十郎によく似ていた)とか西条鮎子とか伏見和子とか、私の映画前期のほのかな記憶の中で独特の位置を占めている。スターとしてはやや薄幸な人たちであったような印象が、そう思わせるのかもしれない。)

『妖蛇の魔殿』の方は、千恵蔵、月形という戦前派の貫禄充分の大スターが、しかも当時リアルな芸を心がけているかに見えた(その代表が有名な『血槍冨士』である)ふたりが、思い切って戦前の無声映画時代のように大時代に演じたところにミソがあった。当時読売の映画評を書いていた谷村錦一という批評家が大喜びして絶賛していたのを覚えている。長谷川裕見子の綱手姫も、髷を結わないおすべらかしの髪がよく似合うタイプなので、大時代な芝居にうまく乗ってこれも私の好みに合っていた。この三人が、妙高山・戸隠山・飯綱山と、信越国境の三名山を本拠にして戦うというのがロマンを刺激するところがあった。のちに私にしては珍しく妙高と戸隠に登ってみたりしたのも、どこかに自来也の影響が残っていたのかもしれない。 それにしても児雷也の蝦蟇と大蛇丸の蛇と綱手姫の三すくみの内、蛇と蝦蟇は判るが、蛇がナメクジが苦手というのは何か根拠があるのだろうか。

このエントリーを Google ブックマーク に追加
Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です