随談第57回 野球・相撲話(その1)

>映画噺が終わったらまたぞろ野球と相撲かと言われそうだが、野球はシーズンが終わっていろいろ話したいことがむずがゆくなってきたのと、来週からは九州場所が始まるからどうせなにか話題が出来るだろうから、はじめからくっつけて野球・相撲噺と題しておこう。むかし、戦時中に野球雑誌と相撲雑誌が統合になって『相撲と野球』(逆ではない)という雑誌ができたというためしもある。

この雑誌のバックナンバーが数冊、戦後もしばらく我が家に残っていて、小学生のころ、それをひっくり返しとっくり返し眺めていたのでよく覚えているのだ。なかでもよく覚えているのが、昭和十八年夏場所号で、双葉山の最後の優勝の場所の記事がメインで、まだグラビアも記事も豊富で、現在の目で見ても、チャチという感じはまったくない。「・・・と思う」と正確には続けるべきで、その後引越しをしたり、手狭なので身辺整理を繰り返しているうちに、なにかに紛れて屑屋にでも売ってしまったかして、最早手元になくなって久しいのである。澤村田之助氏がバックナンバーをいまでも全部揃えているらしいので、横綱照国が腕組をして控えに坐っている写真が表紙のその号のことを人づてに訊いてもらったところ、ちゃんと持ってますよという返事だった。

ところでその雑誌は、誌名通り相撲が主で野球が従という編集なので(そこが戦時という時代で、国技と敵性スポーツの違いの露骨な反映である)、野球に関してはグラビアもなく、記事も巻末の方に追いやられていた。シーズンはもちろんまだ半ばで、巨人の新加入のエース藤本英雄が大活躍している。藤本というのは完全試合第一号のあの中上英雄のことだが、われわれ世代には藤本といった方がピンとくる。完全試合よりも、スライダーを開発したり、投手なのに代打満塁ホームランを打ってその名も『ホームラン』という雑誌の表紙をそのときの打撃フォームが飾ったりした方が、印象が強い。巻末にあの沢村栄治の戦記が載っていて、小隊を率いてジャングルを匍匐前進しながら、樹間にいる敵に向かって手榴弾を投げて倒したというような内容だったと思う。つまり沢村は、腹這いの姿勢から手榴弾をストライクで投げたのだ。(この記事を読んだお陰で、沢村という神話伝説時代の「神」が、わずからながらもぬくもりを持った「人」として、いまも私の中にある。)

ところでいきなり昔話になってしまったが、野球の話を再開しようと思ったきっかけは、新橋演舞場でやっている『児雷也豪傑譚話』で辰之助の大蛇丸を見ているうちに、なんとなく(当世風に「なにげに」と言った方がニュアンスとしてはふさわしいかもしれない)ホリエモンを思い出したことから、いまをときめくあのプロ野球乗っ取り三人男を児雷也と大蛇丸と綱手姫になぞらえてみると面白いかなと考えたからである。

もっともこの場合、ホリエモンを大蛇丸とすると、ホリエモンをダシに使ってはかっさらってしまうミキタニの方が児雷也ということになり、蝦蟇と蛇の立場が逆になってしまう。そうして白面の児雷也の方が悪党として一枚上ということになるが、どうせ仁義なき戦いなのだから、この際善玉も悪玉も区別なしでいいことにしよう。もうひとりのお目々の丸いヒトが女形で、ナメクジの術を使う綱手姫というのはぴったりだろう。

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