随談第58回 野球・相撲噺(その2)

前回の続きだが、その前に尾上松緑丈にお詫びをしておかなければならない。前回で前名の辰之助と書いてしまったことである。どうもごめんなさい。

さてところで、例のプロ野球界お騒がせ三人男の児雷也三すくみ見立てである。私はそもそも経済学というものに対して、音痴が音楽に対するのと共通した反感と偏見を持っている人間なので、彼らがニッポン放送やTBSや阪神球団にやろうとしたこと、またはしつつあることのカラクリは、何が何だかさっぱりわからない。しかしどんなことをもくろんでいるかとか、虫の好く奴か好かない奴かとかいうことは、逆に直感的にわかる。また彼らそれぞれがやろうとしていること自体が、客観的に見て、別に悪いことであるとも思わない。むしろ、彼らをケシカランともっともらしい理屈をつけてしたり顔で批判したりしている人間の方が、少しミットモナイように思っている。しかしそれらはみな、直感的に察知しているだけに過ぎないから、あの問題については何も言う気はない。

そこで三人衆の児雷也三すくみ見立てである。松緑の大蛇丸を見ながらホリエモンを思い出したというのは、別にホリエモンが松緑に似ているという意味ではない。ただ松緑という人が、特にその演じている児雷也という役が、敵役ではあってもどこか稚気愛すべき人物に見えてくるところがあって、それは役者松緑として一得である筈である。ホリエモンが松緑ほどの好漢であるかどうかはアヤシイが、少なくとも他人からカワユイと思ってもらえるタイプであることは確かだろう。(なればこそ、ああいうカワイイ仇名がつくのである。)カワイイと他人に思ってもらえるということ自体、既に、金儲けをもくろむ人間にとって一得どころか二得でも三得でもあるわけだ。

ところで大蛇丸は、児雷也の物語の中ではいうまでもなく敵役である。何しろ『妖蛇の魔殿』では月形龍之介がやったほどの役である。月形の大蛇丸は実に精悍そのものだった。しかし大谷友右衛門の『忍術児雷也』では大蛇丸は田崎潤で、この人はギョロ目に愛嬌があって真からの敵役にはなれない、憎めないキャラクターで売った人だ。その意味では松緑の大蛇丸と一脈通じるところがある。つまり大蛇丸という役には、そういうキャラクターの役者を配してみようと思わせるところがあるのだといえる。

ホリエモンというと私が一番印象的なのは、去年の近鉄バッファローズの一件で後のカラスのミキタニにとんびに油揚げをさらわれるようにしてやられたときの、ニュースで見たワンショットである。どこだかの玄関先のようなところで、待ち構えていたとおぼしいホリエモンがやって来たミキタニに話しかけるのを、ミキタニは完全無視で行ってしまう。するとホリエモンは、「ひと言ぐらいあってもいいんじゃないですかねえ」とか何とか、報道陣に向かってぼやくのである。自分がミキタニと同じ立場に立ったら同じようにするのかもしれないが、すくなくともあのワンショットのホリエモンはじつにカワイかった。

あれでは、大蛇丸にはなれても児雷也にはなれない。意外にいざというときに主役は張れないのかもしれない。ひっくり返せば、ミキタニという人物はカワイクないタイプなわけで、さて最終的にどちらが得か、人種学的に眺めるとあの一件はなかなか興味深いのである。

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