随談第66回 観劇偶談(その27・番外映画噺)

松竹110周年祭と銘打ってシネスイッチ銀座で古い松竹映画を見せている中から、昭和27年製作の小津安二郎監督『お茶漬の味』を見てきた。随分久しぶり、ざっと二十年振りぐらいの対面だろうか。

この作品、小津映画の中ではあまり名作扱いされていない。その意味もわからなくもないが、むしろそれだけにいかにも小津的な細部が浮び上がってきて、好き嫌いからいうと私にはきわめて好もしい。昭和27年というと私はちょうど小学校6年生で、大人の世界が俄かに視野の中に入ってきたという感があって、この映画の中に切り取られている情景のひとつひとつが、自分の記憶の(幼時のそれとは違う意味で)原風景と関わっているかのようで、叫びだしたくなるほど衝撃的なのである。それはもう、懐かしいなどという言葉には盛り込み切れないほど、いうなら私にとっての豊饒の海なのだ。

こんど改めて再確認したそうした情景をメモ書き風に書いておきたい。

冒頭、木暮実千代と津島恵子がタクシーに乗って日比谷あたりを走っている。旧帝劇が遠くに見えている。大きな建物は現在とは比べ物にならないほど少な上に、空襲で受けた傷跡も残っているにも関わらず、町としての風格があるように感じるのは何故だろう?

佐分利信と鶴田浩二が入るパチンコ屋はいかにもこの当時の、ひとつひとつ玉を入れては一回ずつはじく、つまり子供の遊びだったパチンコがようやく大人の遊びになってまだ日の浅い草創期の姿である。パチンコ屋の亭主を笠智衆がやっていて、『長屋紳士録』共通する、案外なほど精悍さを秘めた表情を見せる。(笑顔がイチローと共通することを今度発見した。)当時として回顧調の軍歌を歌うが、これも『長屋紳士録』と共通して、案外なほど歌うことへの執着を感じさせる。

女房の役でちらっと望月優子が出るが、その前に佐分利・鶴田の二人が行くバーの女給の役で北原三枝が、これは出てくるというより写っている。彼女はこの翌年からスターになるのだ。ワンショットという意味では、木暮が淡島千景たちと後楽園球場に野球を見に行くと、淡島の亭主役の十朱久雄(幸代の父である。この人はハイカラ紳士が傍目にはやや滑稽に見えるという役が絶妙だった。これもまた、古き良き東京人の一典型なのだ)が愛人と見に来ているという場面で、バッターボックスにちょうど別当が入って幅広いスタンスに構え、いちど素振りをくれるショットが覚えず声が出たほどに懐かしい。この年はセ・パ二リーグに分かれて3シーズン目だから、このときの別当はすでに阪神ではなく毎日オリオンズである。(後楽園のスタンドの入れ込み式だから詰めればいくらでも詰め込める木製のベンチも!)

この映画に見る鶴田浩二の明るい好青年ぶりも、この時代の何がしかを切り取る戦後のひとつの情景といってよい。戦争体験などを振り回して深刻そうな顔をする鶴田と別の鶴田がここには写っていて、深刻がる鶴田には少し辟易する私もこういう鶴田浩二というのは好もしいと思う。美空ひばりと『あの丘越えて』を共演した鶴田である。(この項到底書ききれないから、つづく)

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