随談第569回 今月の舞台から

歌舞伎座はまず昼の部全部を使って菊五郎が新作物を出したということにちょいと驚く。七十翁?が膨大なセリフを覚える労を厭わないというだけでも大したもの、なかなかの意欲と言って然るべきである。

まずは敬意を表することとして、木下藤吉郎売り出し時代の長短槍試合から浅野寧々との結婚、清州城三日普請、ちょいと出世して竹中半兵衛への三顧の礼、羽柴秀吉へと出世して叡山焼討ちから中国大返し、清州会議と、出世太閤記の有名エピソードのいいとこ取りをして全6幕、NET3時間余。近頃では珍しくなったこうした一本物の新作として、「いいとこ」のつまみ方がうまいのと足取りの良さ、それに幕が変わるごとに藤吉郎が出世してゆくのと共に、人物として大きく成長してゆく様子をうまく見せる菊五郎の芸とが、案配よく配合されている仕上がりの要領の良さに、菊五郎一流のバランス感覚がある。但し半面から言えば、エピソードの羅列であり、ドラマがないという批判も甘受せねばなるまい。

「太閤記」というものが昔から人気があるのは、底辺から頂点へと上り詰めた太閤秀吉という歴史上の英雄の出世譚としての面白さと同時に、もっと身近な、わが身とも重ね合わされそうな(気のする)、小気味の良いビルドゥングス・ロマンとしての側面をも持っているからで、そこらのツボをうまく押さえているのが今回成功の因であろう。(かつての東宝映画の森繁の社長物シリーズの一篇として『サラリーマン出世太閤記』なる一作があったが、一億総非正規労働者のような現代といえども、一身の知恵と才覚で世を渡ってゆく人物への共感と憧憬は消滅してしまったわけではない。)

吉川英治の『新書太閤記』は戦中に書き継がれた作で、秀吉が偉くなってからの後半は、時節柄皇国史観的な色彩が濃くなってあまり評判がよくないが、(発端、中国人の陶工が日本にわたってくる場面から始まるところを見ると、大陸遠征までが構想のうちにあったかと察せられるが、終戦とともに未完に終わっている)、初めの方は、出世太閤記ものの近代におけるオーソドクシイを作ったような感もあって面白い。(まさに『真書太閤記』に対する『新書太閤記』と称するに値する。)夙に戦前戦中に金子洋文脚色で六代目菊五郎、戦後30年代末に松山善三脚色で十七代目勘三郎が、それぞれシリーズ化している。十七代目版は、日吉丸の幼年時代を勘九郎坊や時代の後の十八代目、少年時代を中村賀津雄という配役が、それぞれグッドアイデアに応える好演と、評判だった。十七代目としても、おそらく最も幸せだった時代ではあるまいか。(賀津雄はまだ嘉葎雄などというややこしい字に改める前で、この時の好評から五代目時蔵襲名の話が持ち上ったりした。三代目未亡人である母堂が同席した記者会見の席上、そんなに時蔵の名前が大事ならお母さんが襲名すればいいじゃありませんかと言い放ったという話が伝わったものだが、今となっては、まさに往時茫々の伝説というべきであろう)。

閑話休題。今度の上演について菊五郎がこれは元々音羽屋のものだと言ったとか聞いたが、とはいえ金子洋文版ではなく新規に今井豊重脚色・演出としてこしらえたわけだ。ひとつ難を言えば、吉右衛門演じる明智光秀が、吉右衛門を煩わせる役としてはちと役不足の感があることで、信長というわけにいかなければ、徳川家康でも登場させて役を作るとか、ひと工夫あって然るべきだった。その信長の梅玉も、黒の着付けが「歌舞伎のお殿様」然として、松江候が出て来たみたいで気になったが、叡山焼討ちで西洋風の甲冑姿になってようやく安心する。だがそれより、梅玉はその知的でクールな持ち味といい、光秀ならぴたりであったろう。(もしかすると、配役はもともと逆であったのかもしれない。)

十七代目のときは信長が松緑、前田犬千代が勘弥、寧々がまだ友右衛門だった雀右衛門、竹中半兵衛が八代目三津五郎という、いかにもそれらしい錚々たる顔ぶれだったのを思い出すが、もっとも、歌六の利家、時蔵の寧々、左團次の半兵衛という今度の配役も悪くない。濃姫に菊之助、仲人役の名古屋因幡守の彦三郎等々、菊五郎劇団という手勢をうまく使った菊五郎得意の水入らずの芝居の良さでもある。團蔵の浅野又右衛門と安国寺恵瓊の二役などというのもなかなか乙で、團蔵もいい年配になって、味なところを見せるようになってきた。

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『太閤記』談義が思わず長くなったが、今月は昼は菊に吉が付き合い、夜は吉に菊が付き合うという、菊吉連合王国が皆々萬(ばん)歳(ぜい)を唱えるがごとき陣容なわけで、その意味では、吉右衛門の次郎左衛門、菊之助の八ッ橋に菊五郎が栄之丞を付き合うという『籠釣瓶』の方が一段とUNITED KINGDOMとしての実を挙げているともいえる。で、またこの栄之丞のスパイスがよく効いている。

吉右衛門は(筋書の上演資料によると、数え違いでなければ今度で12回目ということになる)すっかり草書風、菊之助は、世代からいっても芸統からいっても、例の見染めの謎の微笑ひとつを見ても、歌右衛門神話の呪縛から自由な地点に立っていることがわかる。『籠釣瓶』上演史の観点から見ればそこが面白いとも言え、菊之助論の観点からすれば、菊之助がこの役をどういう風に見ているかに興味が行くことになる。もっとも、目下のところは、決して尻尾を出さない「お利巧菊ちゃん」の埒から出ようとしないから、芸そのものの面白さとなって現れるというわけには行かない。そこが物足りないとも、それが菊之助なのだともいえる。即ちそれが、「菊之助のいま」なのだと考える他はない。今後、いろいろな次郎左衛門を相手にしながら(海老蔵の次郎左衛門などということもあるかしらん)、年齢芸歴を重ねつつ様々に八ッ橋を見せてくれる(であろう)のを楽しみにしよう。(まさか、八ッ橋より次郎左衛門の方がやりたい、などと言い出したりしないだろうね?)

歌六と魁春の立花屋夫婦がいい。立花屋には立花屋なりの打算もあれば商売気もある、というところを抑えつつもそれをあざとくは見せない、そのあたりの案配が大人の芝居である。この『籠釣瓶』という狂言は従来識者からは通俗歌舞伎と見做されてあまり高い評価を受けてこなかったような気がするが、同じ吉原を舞台にしながら、『助六』を裏焼きしたような、リアリズム歌舞伎としてじつはなかなかの傑作であると私は思っている。。

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その他では『源太勘当』で秀太郎の延寿が流石である。こういう作品ほど、義太夫物としてのツボをしっかり押さえてつとめないと何が面白いのかわからないようになってしまう。梅玉の源太も今ではこの人のものだろうが、菊之助がしてみるのも面白いかもしれない。時蔵と松緑の『浜松風恋歌』というのは、実は今度初めて見た。『須磨の写絵』の下の巻と同工異曲で、30分ですんでしまうから追出しとして便利とも言えるが、筋書の解説に『須磨の写絵』にまるで触れていないのは、ちと不親切ではあるまいか?

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新橋演舞場は「喜劇名作公演」と題して新喜劇と新派の相乗り、それに梅雀、つまり前進座育ちの芸が加わるという一座。もちろん、互いに努めてもいるに違いないが、思えば、成立事情はさまざまにせよ、いずれも歌舞伎の縁辺に生まれ、育ったジャンルの芸であるという一点で重なり合う。親和力の根源がそこにあることを、いま改めて知るのも、歴史が巡り巡っての面白さとも言えようか。少なくとも、当節稀な、大人が安心して芝居を見る楽しみがここにある。(作者はというと館直志、茂林寺文福、花登筐ということになるが、こうして並ぶと花登筐の作風のあざとさが気になるのは、まあ、お里の違いで仕方がない。)

三越劇場では北条秀司の『おばこ』を渡辺えりがやる。例によっての体当たり的熱演でそれはそれで悪くはない、こういうのも「あり」だろうと思わせるが、かつて市川翠扇と柳永二郎で見たのと同じ芝居と思えないほどテイストが異なっている。つまり渡辺えり流もありだと思わせるのは北条秀司の作の懐の深さ故であって(ということを、改めて思った)、それを芸の上で繋ぎとめているのは筑前翠瑶だ三原邦男だといった新派の脇役の面々である。演舞場の喜劇名作公演にしても、新派、新喜劇の役者たちこそ、今日の演劇界にあってのまさしくプロフェッショナル集団だということを今更ながら思わないわけにいかない。

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明治座で梅沢富美男が『おトラさん』をやっている。『おトラさん』といっても、懐かしさとともに知る人は六十代以上だろうか。『サザエさん』だけが独り勝ちのように残った形だが(じつを言えばその『サザエさん』だって、今知られているのはテレビでアニメ化されたもので、新聞の4コマ漫画とは実は風味を異にしているのだが)、昭和2,30年代の新聞連載漫画というのは大変な黄金時代で、各紙こぞって大ヒット作を長期にわたって連載していたのだ。

映画化・テレビドラマ化されると、当然ながら、そのタレントの個性で見せることになるから原作の漫画とは味も狙いも異なるのは避けがたいところで、むしろ別物と考えた方がいいが、江利チエミの『サザエさん』、藤村有弘の『エプロンおばさん』、都知事になった青島幸男の『いじわるばあさん』等々といった系譜が成立する。柳家金語楼による『おトラさん』はその最も早い例になる。(因みに、『サザエさん』の初代ノリスケ役は売出し前の、というより、もっと正確に言えば、この役をもって売出しの第一歩としていた当時の仲代達矢である。)

今度の梅沢による舞台版も、原作のキャラとも設定とも大分違いがあるが、これはこれで大衆劇として悪いものではない。昭和36、7年ごろの人形町商店街という設定は、世態人情の移り変わる時代の潮目を捉える上で気が利いているし、毎夏の楽しみだった隅田川の花火も来年からは交通規制のために廃止になるという、幕切れのちょっぴり辛子を効かせる具合など、堤泰之の脚本も端倪すべからざるものがある。(職人たちのうわさ話に、長嶋はよく打つが王はさっぱりだ、あれでは三振王だと言わせるなど、「オヌシやるな」というところである。実際、この当時の王貞治氏はそんな程度だったのだ。昭和43年が初演の『おばこ』では、上州の山奥の温泉芸者が、王選手の一本足打法すごいねえ、と噂するセリフがある。まさしくこの数年のタイムラグの間に、「王選手」は草深い山奥にまで知らぬものない存在になったのである。)

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今月の文楽は『信州川中島合戦』『桜鍔恨鮫鞘』『関取千両幟』とB級グルメのオンパレードの最後に、突如、『義経千本桜』のそれも「渡海屋・大物浦」という本膳が出るような、ふしぎな献立で、こうなると「大物浦」の、物語がすでに終わった後に延々と知盛の述懐と鎮魂のための件が続くのが、生理的苦痛のように感じられてしまう。歌舞伎の「大物浦」が、典侍局の件を少々犠牲にしてでも知盛入水を圧倒的な演出にして見せた知恵を改めて思わない訳には行かない。『靭猿』にしても、いたいけな子猿にしたところに歌舞伎の知恵があることに今度改めて気が付いた。文楽の猿は大猿であって、なるほど、あのぐらい大きい猿でなければ靭を作るには不足なわけだ(という理屈からどうしても離れられないのが、文楽と歌舞伎の違いの根本であろう。)

『川中島合戦』でも、歌舞伎で『輝虎配膳』を見ていると、この配膳はもう一膳足りないような気がするのだが、文楽でそのもう一膳の「直江屋敷」を見せられると、ああそういうことなのかと納得するものの、正直、いささか腹にもたれる感は否定しがたい。歌舞伎が「輝虎配膳」だけで切り上げてしまった理由もわからなくもない、ということになる。どちらにしても、痛しかゆしには違いない。

『桜鍔恨鮫鞘』を咲大夫が語るのが今月一番の大ご馳走だろうが、近代的知性というヴェールに包まれてしまった『天網島』だの『大和往来』だの以上に、こういうものこそ上方の町人社会を如実に映した作なのだろうと思わされる。歌舞伎での通称『鰻谷』という上方狂言の存在を知ったのは、昭和41年6月、東横ホールで十三代目仁左衛門と我童のおつま八郎兵衛で見た時だった。初めても何も、本興行での上演は今以てこのとき限り、その後もう一回、国立小劇場で大阪の芸能を集めた特別公演で、やはり十三代目と我童で見たのが私の『鰻谷』体験のすべてであり、もしかすると私の上方認識の最奥部を作っているかもしれない。菅丞相もさることながら、十三代目という人の芸に一番しっくりするのは八郎兵衛かもしれず(上方の辛抱立役というのはこういうものかと思わされた)、我童のおつまも、これこそが我童の真髄かと思うものだった。

嶋太夫が、人間国宝になったはいいがそれと引き換えのように引退という事態をめぐって、私などの耳にさえ、ホンマかいなと言いたくなるような、あまり愉快でない噂が聞えてきたりしたが、ここ数年、あれよという間に年配の大夫がいなくなってしまったことになる。もうこれで、昔ながらの風情・風格を持つ大夫は咲大夫だけといっていい。きちんと上手に語る大夫はこれからも出るだろうが、計算づくでは計れないような浄瑠璃を語る大夫は出ないだろう。嶋大夫の師の若太夫という人はまさにそういう人だった。嶋大夫は豪放な若太夫と芸は似ていないが、ある種、昔風の義太夫を語る最後の人であったとは言えるだろう。口調が何となくべちゃべちゃする感じが気になる処はあったが、演目によっては流石老巧と思わせるものがあった。七,八年前になろうか、『敵討襤褸錦』の「大晏寺堤」の前の場の「春藤次郎右衛門出立」を語ったとき、コトバのうまさに感じ入ったことがある。

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ところで今回、嶋大夫最後の床となった『関取千両幟』の「相撲場」で猪名川と鉄ケ嶽の取組みの仕切り直しの際、鉄ケ嶽に琴奨菊よろしく琴バウアー(と呼ぶことに一本化した由。菊バウアーの方がよかったのに。猪名川にさせたらイナバウアーになるところだった)をさせたのはご愛敬だったが、塩を四本柱の根方に置いてあったのは間違いである。あれは柱の程よき高さに塩を入れた笊をくくり付けるのだ。現在のような下に置くやり方は、昭和27年秋場所(栃錦が関脇で初優勝した場所である)、四本柱を廃止して吊屋根から房を下げるようにしたときからのことで、当初は、大きな体の力士が体をかがめて塩をとるのをおかしく思ったものだ。(ついでに言うと、「満員御禮」と書いた白い幕も、四本柱にくくり付けたのである。)

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シアタークリエの大竹しのぶ三演目の『ピアフ』の大熱演。すっかり堂に入って「しのぶ十種」の内に入れてもいいほどだが、どうも歌が上手くねえなという声も、ロビーのそこここから聞こえてくる。私はパム・ジェムス作のこの狂言(!)は歌より芝居だと思っているので、一応ピアフらしく聞こえれば歌の巧拙はさほど気にしないが、いや歌があってのこの芝居であると考える向きも少なくないようで、そうなると、評価もがらりと変わってくることになる。

これとは別物だが、先に話に出した『おばこ』の後、「渡辺えり愛唱歌」と題するコーナーというか、もう一幕というかがついている。一丁のアコーディオン(だったりギターだったりピアノだったり、大塚雄一が弾き分ける)の伴奏で歌とトークで運ぶのだが、こちらでも、歌がどうも、ということになる。歌手の公演とは意味が違うとはいえ、わざわざ一演目として設ける以上、客を喜ばせてくれなければ、余計なおまけをもらって却って困るということになる。たぶん、歌う曲によってバラツキ(乱高下?)があるのだろうが、もっともこちらは最後の演目だったから、ロビーの噂を聞く暇もなかった。

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