随談第67回 観劇偶談(その29)

『お茶漬の味』随談はまだ続くが、今回はいったんお休みして別な話題。

明治座で松井誠の公演をやっているのを見てきた。『男の花道』と「誠版レビュー」と肩書きつきのショウの二本立て。芝居は決して上手いというのではないが、大衆劇の骨法を辿りつつ当世の観客の好みや動向にも目配りを利かせている具合がアイデアマンであり、勉強家・努力家の半面をも思わせつつ、感覚の鋭敏さをも見せるところがなかなか面白いだけでなく、好感が持てる。

それは芝居よりもむしろショウの方に発揮されていて、時代劇の扮装で「ボレロ」の群舞があったり、「月形半平太」のラストの立ち回りがあったり、さいごには「連獅子」になったりする。冒頭には「動く博多人形」というキャッチコピー通り博多人形が抜け出したという趣向から始まる。

松井の最大の武器であり最大の泣き所はおそらくその美貌だろう。写真でみても実際に見ても、とにかく美貌である。もちろんそれはチャームの源泉でもあるが、一方でお人形さん美人と同じく、かえって無表情に見えたりもする、面白いが、もうひとつ身に沁みないという声も聞く。なるほど、という気もする。女優でもそうだが、きれいに整った美人女優というのは、かりに芸力が同じだとすると、「個性派」などとよばれる女優に比べ、とかく大根視されがちである。松井誠にもそのきらいもないでもない。そこらにもうひと工夫あってもいいかという気がする。

九月には同じ明治座で梅沢登美男を見たが、こちらはもっと現代というところにスタンスを置いている。現代風のメイクをして、薄口を開けた現代の女形になるところがミソなのはいうまでもない。客をいじり、笑いを取ることにかけては、松井誠よりはるかに積極的である。

劇団若獅子は新国劇のながれを組む劇団で、松井や富沢のような地方周りの芝居を原点とする劇団とはまた違うが、如何に大衆をつかむかというところに主眼を置いているところでは共通するものをもっている。最近見たのは三越劇場で藤沢周平の原作を劇化した『たそがれ清兵衛』だったが、新国劇で修行をしたことがそのまま生かされる演目ばかりをやれないところに、やや苦しいところがある。

松井は来年春には御園座で美空ひばりを演ずるそうだが、万人それぞれのイメージがある現代の女性を演じるというのは面白い。この前はピーター池端慎之介が越路吹雪を演じて評判だったが、料理按配の仕方に興味がある。いろいろ試みるのは、それだけ路線が定まらないからともいえるが、むしろそれ以上に、「現代の女形」を演じたいという意欲の現れと考えるべきだろう。

むかし新派で花柳章太郎は、和服を着た現代女性は数多く演じたが、スカートやドレスを着るような役はついに無理だった。もちろんそれは時代の制約の故だが、松井がみごとに美空ひばりを演じてのけたなら、現代の女形としてひと旗あげることにもなるだろう。

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