随談第71回 観劇偶談(その30・番外映画噺5)

松竹110周年から昭和8年制作の『伊豆の踊子』を見た。数あるこの作の第一作であり、まだサイレントである。私にとっては一番なつかしい第2作の美空ひばり・石浜朗コンビの野村芳太郎監督版が昭和29年の春、そのころ購読していた『平凡』の新作・新輸入映画紹介欄で、あの『ローマの休日』と同じ号に載っていたのではなかったか知らん。その主題歌としてひばりが歌ったB面の歌が名曲であることは大分前に書いた。

おもしろいのは、今日見た昭和8年版が、サイレント映画であるにもかかわらず主題歌を持っていることで、四家文子と市丸が歌っている。レコード会社とのタイアップなのだろう。歌詞は画面に出る。「泣くんじゃないよ、泣くじゃないよ」という歌詞とメロディは子供の頃から聞き覚えていたから、戦後までもずっと歌い継がれていたわけだ。

映画主題歌というのは、つまりサイレント時代から始まって、戦後もずっと盛んだった。大概は歌謡曲の歌手が歌うのだが,時に主演スターが歌うこともある。美空ひばりはもともと歌手だから当り前だが、昭和2,30年代の彼女のヒット曲のかなりの部分は映画主題歌の筈だ。石原裕次郎の場合は、逆に映画スターが歌ったら大当たりしたケースだが、いま話題にしている昭和20年代でのその手の「歌うスター」の典型といえば高田浩吉だった。鶴田浩二が片耳に手を当てて歌うのも元は主題歌の吹き込みからきているのではなかったか。黒川弥太郎なんていう人も、歌うスターの一員だった。つまり時代劇俳優も歌えるに越したことはなかったわけで、中村錦之助もナントカ月夜笠とかいうのをレコードにしているはずだ。「月が出ている一本松に」という出だしで、たしかセリフが入るのだったが、歌はご愛嬌でこれ一曲でやめてしまった。

ところで『伊豆の踊子』だが、田中絹代の映画的演技には驚いた。いまの女優には出せない古風さと、ヴィヴィッドに躍動する自然さが不思議な共存をしている。つまりあの旧制高校生の伊豆の大島から渡ってきた踊り子への恋ごころは、サマセット・モームの小説の主人公がタヒチの女の野生の自然さに心惹かれたのと同じ種類のものなのだ、ということが、田中絹代によってわかった。

その高校生役の大日向伝の大根役者ぶりというのも驚きに値いするが、あの手の無手勝流の朴訥さというのも、日本映画がごく当初から求めていたキャラクターに違いない。大友柳太朗とか藤田進などという人たちもそうした系譜に属するスターたちだろうし、佐分利信だってそういう中から生まれた一変種と考えるとわかりやすい。つまり映画というのは、何もしないでヌーッと突っ立っていても名演であり得るメディアなのだが、このことはおそらく、歌舞伎しか知らなかった日本人が、新派や新劇や映画など、新しい演技のあり方を「自然さ」に求めはじめた時から生まれ、底流としていまも流れ続けているものである。その証拠に、ヌーッとして男っぽいのが売り物のタレントはいまも絶えない。

小林十九二などという、『二十四の瞳』の老校長みたいな年寄り役者としてしか知らない俳優の若い時の顔を見られたのも一得だったが、ところでこの回は話がわき道にそれたが、『お茶漬の味』メモ集、まだ続けるつもり。

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