随談第82回 日記抄(その1)

1月某日 晩飯後しばらく椅子の上に寝そべりながらテレビを眺めるということをよくやる。この日もそうしていたら、「その時歴史が動いた」という番組が始まった。松平アナウンサーがとくとくと新釈講談を読むような例の番組だが、この日のテーマは近松門左衛門がはじめて世話狂言『曽根崎心中』を書いたのが「そのとき」という設定だった。

見るともなく見ていると、「曽我狂言」の説明のところで思いがけない映像が現れたので、思わず跳ね起きて画面に見入った。昭和31年10月封切りの東映映画『富士の夜襲』の一場面である。中村錦之助が曽我ノ五郎、東千代之介が十郎になる曽我兄弟の一代記を描いた、当時は大作といわれた作品で、私にとっては曽我兄弟に関する知識のベースとなっている代物だ。画面は、千代之介の十郎が月形龍之介の工藤祐経に斬りつけ、月形がウームと崩れ落ちると、錦之助の五郎と肩を抱き合う(後ろの方に高千穂ひづるの大磯の虎が写っている)という場面で、15秒かそこらもあっただろうか。

それにしてもNHKには味なことをするスタッフがいるものだ、と妙に感心した。だって松平アナウンサーと近松門左衛門と錦之助・千代之介の東映時代劇という組み合わせはほとんど三題噺に近いではないか。まさかこんなところで『富士の夜襲』に絶えて久しい対面ができるとは思わなかった。(このあたりのふところの深さが、痩せても枯れてもNHKというものかもしれない。ちょっと買いかぶりかな?)

曽我物というと最近は『対面』以外は滅多にお目にかかれないが、(今月の国立劇場では『鴫立つ澤の対面』という珍しいのが出た)、この映画には千恵蔵が頼朝役で特別出演して、錦之助と「敷皮問答」をしたり、伏見扇太郎の御所の五郎丸が女装して油断させ五郎に後ろから取っ組んで床板を踏み抜いたところを召し取る場面とか、幼時の兄弟が由比ガ浜で斬刑になるところを梶原景時(大川橋蔵の役である)が救う場面とか、以前なら周知のお馴染みの有名場面をこの映画のお陰でインプットされているものが少なくない。

この映画にはまた、三代目時蔵が曽我祐信かなにかの役で出ている。錦之助が映画入りするときには猛反対したという時蔵も、すっかり親馬鹿になって錦之助映画にちょいちょい特別出演している。その手の一つで『お役者文七捕物暦』というのでは、劇中劇で女暫の花道の件がかなりながながと映っていて、三代目の一時代昔の古風な役者振りを偲ぶ貴重な映像となっている。この他にもたしか、土蜘蛛かなにかをアレンジした作もある筈だ。

暮には時代劇チャンネルで『山を飛ぶ花笠』を見た。かねて見たいと思いながら果たせずにいたもので、つまりあの梅幸が映画に初出演した作品である。昭和24年の大映作品で、梅幸はこの映画の撮影中に父の六代目菊五郎を亡くしたのである。梅幸の役は女形役者で、澤村国太郎が師匠の役で始めの方にちょっと出てくる。(妹の沢村貞子、弟の加東大介もちょっとした役で出る。つまり映画側としては、小芝居の宮戸座の出とはいえ、歌舞伎に心得のある者を配したのだろう。)それにしても、昭和24年の梅幸はいかにも若い。菊之助とそっくりの表情をするショットもいくつかあった。献身的に尽くす恋人役が花柳小菊だが、この人は『富士の夜襲』では曽我兄弟の母の満江の役である。

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