随談第86回 観劇偶談(その40)松竹座偶評

大阪松竹座を楽日前に見る。八年ぶりという仁左衛門・玉三郎の関西での顔合わせで昼の部など大変な盛況で、着飾った女性も多くよき風情である。夜の部には若干空きもあったが、これは東京ほど都市圏が膨大でない土地柄ゆえで、演目が理由ではないらしい。

『十六夜清心』を「ゆすり場」まで出すのと、『忠臣蔵』を「落人」から「五・六段目」と出すのは、行き届いていてこのふたりらしい。「心中場」だけでも充分うっとりさせられるふたりが、必ずのように「ゆすり場」まで出すのは、ここまで出してこその黙阿弥芝居であることをよく知っていればこそだろうし、玉三郎のおさよがあってこそそれが生きるからでもある。事実、ゆるぎのないよき安定がそこにある。

私の興味としては『五・六段目』にあった。仁左衛門の勘平はこれが三度目、ちょうど二十年ぶりという。その二十年前の歌舞伎座所演の折のビデオを、私はゼミ生に『忠臣蔵』というものを見せる好例として、年に一度必ず見ていて、見るたびに感心している。由良助役者としての定評が出来てしまったこともひとつの理由だろうが、これほどの勘平を演じる機会がなく、ファン以外には知られていないのを、現代の歌舞伎のためにももったいないことだと思っている。果して、二十年ぶりの再会は大いに満足できるものであった。

全体としてはいわゆる音羽屋型で、これは優美な二枚目ぶりを見せる仁左衛門としてよき選択であろう。しかし随所に自身の考えや工夫を主張しているところが面白い。「二つ玉」の解釈、即ち二発撃たず見得もしない。着替えをひとりでする。落入りのときの満足の表情と肉体的苦痛などなど、自己を主張するところが型のマナリスムをシャープに切り裂いて、鮮烈且つ哀切に訴えかけてくる。二人侍を迎えるところで刀身を鏡に髪の乱れを直すのがこれほど美しくも哀しい勘平はまたとないであろう。同時に、逃がすまいとすがり付いてくるおかやに対して、これほど慙愧に耐えない風情の勘平もまたとないであろう。まさに「情けなや」というセリフが、幾層もの意味合いをもって響いてくる。おそらくこれは計算ではなく、この人の芸に関わる感性が、見る者にそう感じさせるのだ。

玉三郎のお軽もまことに結構である。最もこの人らしいのは、「さらばでござんす」という一言にかける解釈と切れ味の見事さと、更にはそれをたっぷりとした情感で包み込めるようになった芸の熟成である。「落人」も、ふたりとも大きく、しかし決して老けることのない、立派な大舞台だった。おかやの竹三郎が、上方役者らしいねばりのある、充分につっこんだ芝居で実力を再認識させる。また段治郎が千崎で、いつもの段治郎の色を消して、芝居のトーンによく馴染んだ上で手一杯につとめているのにも感心した。

愛之助が『義賢最期』を、孝太郎が『矢口渡』をそれぞれもてる力を充分に発揮、好演する。義賢はもう仁左衛門がすることはないだろうから、これからは愛之助のものになるだろうし、お舟も娘方として孝太郎の最も仁にある役どころで、目下この人としての傑作と称してよい。これを足掛りにお三輪やお里が期待できる。段治郎のほかにも笑三郎、春猿、猿弥ら猿之助一門の若手四人が、配慮ある使われ方をし、またよく起用に応えている。

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