随談第94回 スポーツ偶談(その3)

「時代劇選」は急かず慌てず進めることにして、オリンピックも半ば終わったところでそっちの話にしよう。もっとも、日本選手の成績や戦いぶりについての床屋政談風論評はすでにかまびすしいところで、いまさらそれに加わる気はない。

もちろんすべてを見たわけではないが、いままで見た中で一番、というよりも抜群に印象的なのは、女子スケートの岡崎選手の面魂である。とりわけ、500メートルで惜しいところで4位に終わった瞬間の顔がよかった。顔は笑っている。しかもその笑顔は、照れ笑いなどでなく、自分を見ている他者への気遣いの笑顔である。しかし同時に、戦う者としての無念が噴き出してくる。笑顔は同時に、自分に対する苦笑でもある。笑いだけが仮面のように貼りついているのではなく、その証拠に目もちゃんと笑っているのだが、その傍から負けじ魂がこみあがってくる、といった風情だ。

あの苦笑の中には、いくつもの心理や意味が読み取れる。まあ、だれでもができる笑いではない。肝が据わっていないと、ああいう顔にはならないに違いない。少なくともこんどの日本選手の中で、ああいう風に、内面と外面が高度に緊張し合ったいい表情というものは、まだほかには見当たらない。まさに「面魂」という言葉がふさわしい。

岡崎についでは、カーリングという奇妙な種目の主力のふたりの、きわめて庶民的なおねえちゃん風の中に根性が貫いているような顔がいい。人ごみでドジな巾着切りの腕のひとつも捩じ上げてしまいそうな、時代劇にでも出てくるおねえちゃんみたいで、なかなか愛嬌がある。彼女たちも、凄い集中力と他者への意識が、緊張感の中に見事に均衡が取れている。自分の中に閉じこもってしまうのではなく、他者がいて自分がいて、その中で自分を貫いているという、その感覚がおのずからチャームになるのだ。

最近の、とくにNHKの若手のアナウンサーのインタビューに著しいが、自分(たち)であらかじめひとつのレールを決めておいて、その方向に話題だけでなく、相手の答えをも誘導していこうとする、悪い傾向がある。今日のオリンピック特集を司会した男女のアナウンサーもその典型で、何でも「誓い」とかいうテーマが決めてあって、これまで活躍したり不本意な結果に終わった人気選手をとりあげては、人情美談という箱のなかに収めてしまわないと気に入らないらしい。

ところが今日の番組の目玉は、岡崎とのインタビュウだった。岡崎はちゃんとできた人間だから、笑顔で抜かりなく応対はする。しかしたとえば、自分のレースの映像が出ると、もう目は笑っていない。レースを終えてまだ間もない岡崎にしてみれば、この映像をつい食い入るように見つめることになる。その岡崎の表情を見て、なぜ(仮に予定にはなくとも)今でなければ訊けない質問をしないのだろう。「誓い」とかいう予定通りの質問をくりかえし、人情美談に仕立てることしか頭にないらしいインタビュアというのは、一体なんなのだろう? スタジオの中とはいえ、まだ戦う者の顔をゆるめていない岡崎の面魂に、つまらない質問が、鉄壁の前に撥ね返されるひょろひょろ矢みたいに空しく落ちてしまうことに、気づかないのだろうか。

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