随談第98回 観劇偶談(その43)国立劇場『当世流小栗判官』

スーパー歌舞伎の『オグリ』でなく、『当世流小栗判官』をかれらだけで国立劇場の本興行でやる。これも新聞には別の扱いをすることになったので、ここに書くことにしよう。

国立劇場の3月興行は、右近等猿之助一門の若手だけでひと興行受け持つという破天荒(といってもいいだろう)の興行である。去年の七月の『千本桜・四ノ切』もそうだったが、あれは鑑賞教室といういわば限定版だった。猿之助チルドレンなどという言い方も出来ているようだが、若くてレベルの揃った演技集団として、かれらを活用する国立劇場のひとつの試みとしてこの公演には注目したい。

猿之助が倒れるという予期せぬ出来事があって以来、いろいろなことが云々されているが、猿之助の健康の問題はべつの話として、場合によっては、当面、国立が丸ごと抱えてしまうということだって考えられていいと思う。とかく手薄になりがちな国立劇場の公演に、かれらの存在は貴重な筈だし、かれらにとっても悪い話ではない筈だ。

それはともかく、一生懸命の熱演は当然だが、出来栄えも相当なものである。国立劇場の本興行としてすこしも恥ずかしくない。

右近の判官は、ある程度予測できたとしても、しかし最近の、やや惑いの見えた感もある右近としては、今度のような機会はかえって惑いの雲を払ういい機会であったかもしれない。むしろいつもの余計な力みがなく、この一座でのかしら分という格もある。もう一役、かつて宗十郎がやった矢橋の橋蔵を引き受けて、思いのほか軽いところをみせたのも、ちょっと感心した。よく高校野球などで、地元で評判の断トツのエースとして前評判の高いピッチャーが、ひとりでなにもかも抱え込んで、独り相撲をとって案外もろくも打ち込まれてしまう、という図を見かける。右近にもそういうところがあるような気がしていたが、少なくとも今回は、エースとして見事に完投した。

段治郎の浪七も、最近つぎつぎと大役に抜擢された成果、というだけではない質実さを伴った実在感があった。役者として、尾ひれがついた、というやつである。美貌だけが浮きあがるような感じがなくなってきた。以前想像していたよりも、この人はなかなかのサムライであるらしい。そのことに、ちょいと感心した。

笑也の照手姫はいわゆる仁にあった役の強みだが、ある種の、言葉は悪いが開き直った結果の自信のようなものが感じられた。じつは私は、この人の今後にちょっと関心がある。

しかしこの芝居で一番むずかしいのは、万長の後家のお槙であり、娘のお駒である。これも宗十郎の傑作があり、亀治郎のヒットがあった役だが、それとは比べられないにしても、笑三郎のお槙には大いに賛辞を送りたい。代役での経験があるとはいえ、定高とか戸無瀬などと言った役とも通じる女形の大役を、これだけ手強く演じきったのはたいしたものだ。春猿のお駒は役をよく理解して演じているところに点が入る。努力賞かな。

賞というなら、しかしこの際、個々の賞より先に、まず全員がなんらかの表彰をされて然るべきだろう。所見日だけのことならいいが、残念ながら空席が少なくなかった。これを読んでくれた方々、楽日までまだ日がありますから見に行ってあげてください。

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