随談第103回 随談の随談「1周年目のブログ」

このブログを書きはじめてちょうど1周年になった。ホームページというものがどういうものだか、ブログというものにどんな面白みがあるのか、ろくに知らないままにはじめたのだから、まったくの無手勝流である。あんまり他人のホームページを覗いたりもしないから,ほかの人たちがどんなやり方をし、どんなことを書いているのか、いまもほとんど知らない。

私は、これまで新聞とか雑誌というメディアを通じて、原稿用紙の升目をうめるという書き方しか知らない人間である。読者というものは、そういう形(というか、関係というか)でしか、想定できない。読者を想定しないで、文章というものは、私は一字も書けない。結局、私の場合、いつも原稿用紙に書くのと同じように、私にとっての不特定多数の読者を想定して書くよりないことになる。

ただ、新聞や雑誌とは違う、新たな読者(というより読み手といった方がいいかもしれない)が得られるかもしれないという期待のようなものはあった。丸一年でアクセス数が1万6千強という数字が、多いのか少ないのかわからないが、やや希望的な見方をすれば、このブログを通じての読者も得られたのかもしれない。少なくとも、その日その日で増減はあっても、ある一定の数字が毎日増えてゆくのを見るうちに、わずかでも手ごたえのようなものが感じられるようになったのは確かだ。はじめる前には知らなかった面白みを知ったことは、少なくとも間違いない。

もうひとつ、始めた動機として、書きたいことを自分の方から開拓していければ、ということがあった。メディアを通じて書くことは、いわばお座敷がかかってはじめて芸をする場ができるわけで、基本的に受身の仕事である。ある一定の場に一定の注文があって、それに応じて書くわけだ。あいつに書かせよう、と思ってくれる人がいるということは有難いことだが、しかしそれは、書かせてくれる側の想定内にあることに限られざるを得ない。それ以外に書きたいこと、書いてみたいジャンルがあっても、そもそもそれは、自分以外の誰も知りようがないことだ。

いまのところ、野球や相撲や映画のことを随談風に書いているだけだが、最近はじめた「時代劇映画50選」のように、まとまった形にまとめるやり方ももっと試みていきたいと思っている。インターネットで歳時記を作っている人もあるそうだが、知恵をめぐらせればまだいろいろネタもやり方もありそうな気がしている。もちろん、「演劇評論家上村以和於オフィシャルサイト」と謳っている以上、芝居に関しても、いまの「随談」形式以外の試みもやってみたい。

それにしても、仮に劇評を書くとして、批評の文章というものが、新聞や雑誌に書くときとまったく同じに書けるものかどうか。はじめに書いたように、不特定多数の読者という想定を、どれだけ手ごたえあるものとして確信できるかという問題と、これは関わってくる。純然たる心覚えのためのメモのようなものは別として、文章というものは、本質的に、他者に対してなされるものだからだ。

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