随談第108回 観劇偶談(その49)

国立演芸場の中席に桂歌丸が人情噺「小判一両」を出すというので聞いてきた。ついこのあいあだ、歌舞伎座で当代の菊・吉でやったばかりの、あれである。

作者の宇野信夫がつとに人情話に書き直して、NHKでわざわざ長講一番を企画した番組で円生がやったのをリアルタイムで聴いたことがある。わたしの知るかぎりではそれ以来のことであり、高座で話すのを聴くのもはじめてだ。

歌丸は、夏につづけている「牡丹燈篭」や「累ケ淵」もそうだが、円生によく学んでいるとおぼしく、この「小判一両」もそうだった。かなりストイックに円生の特徴をよく取っていて、きわめて辛口の語りである。しかし、自分の語り口を確立している噺家の話を聞くのは、もうそれだけで気持がいい。敢えてちょっと大仰にいえば、こういう日本語を「語る芸」として聞けるというのは、そのことだけで、現代の日本でできる実行できる数少ない贅沢のひとつといっていい。

最近は、大阪弁をはじめとする方言がもてはやされているが、近代の東京でかつてはぐくまれたこうした言葉が、私などには最も近しく、もっとも胸と肚に染入る、もっともなつかしくも親密な言語なのだ。それは、かつての江戸弁ともちがうだろうし、いわゆる標準語ともちがう。歌丸の語り口には、そうした言葉が、現役として生きている。

ところで歌丸の語る笊屋の安七も浅尾申三郎も、菊五郎や吉右衛門が演じたそれらの役よりも、はるかに辛口である。その言葉も、その言葉が作り出す人物像も、辛口というだけでなく、苦味をももっている。菊五郎の安七は、気のいい、ちょっと可愛らしげな人物だってが、歌丸のは、もとはぐれてばくち打ちになったこともあるような、そうしてそこから足を洗った過去を苦味として、自分を律しているところがある。因業な凧売りをなだめたりすかしたりして頼むところが、そうした、この男の生きてきた、この男の背負っている人生をもおのずから語っていて、とりわけ圧巻だった。

さてこの話、この芝居がむずかしいのは、貧窮の浪人者の小森孫市がなぜ自害をしたかを、いかに演じ、いかに見せるかにある。芝居だと、説明めいたセリフを役者に語らせるわけにいかないからどうしても曖昧になりがちだが、噺だとその点、もっと明確に人物の口から語らせることができる。しかし歌丸のすぐれているのは、単にそれだけではない。それを安七に語って聞かせる申三郎の、またそれを聞く安七という人物が、彷彿としてくるところにある。

孫市が自害したのは、それまで自分を支えていた自負の拠りどころを見失ったからである。安七に、自分の顔、自分の姿を見ざるを得ない鏡を差し付けられ、自分では気づいていなかった(気づこうとしなかった)、他者の目に映じている、自分の姿を客観視させられたからである。自負というものは、自分の内面だけでは完結できない。他者との関係の中ではじめて存立し得る。孫市の自死は、そういう人間のあり方を語っている。

などと、むずかしい理屈をならべたくなったのは他でもない。ついその前日に、俳優座劇場でヘンリイ・ジェイムズの「女相続人」を見ながら、同じようなことを考えた後だったからでもある。というわけで、次回はその「女相続人」のおはなし。

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