随談第114回 観劇偶談(その55)今月の一押し

観劇偶談の一環として「今月の一押し」というのを始めることにしよう。といっても、ベスト・ワンなどと、あまり堅くならないでください。もう少し自由で、もう少し洒落っ気のあるものにしたいのです。いうなら、馴染みの店にあなたを案内したとして、この店これがおすすめなんだよ、と小皿の一品を注文する、といった感じですかね。

さて今月だったら・・・いろいろありそうですな。新橋演舞場で染五郎と亀治郎が『寿式三番叟』というのを踊っている。要するに「二人三番叟」なのだが、一応それとは別に、こんどふたりが踊るについて新しく振付けたものだ。いまいちばん覇気と客気のあるふたりがむきになって踊りくらべをしている感じで、活気があってなかなか見せる。

いや亀治郎なら夜の部の『湯島掛額』の「火の見櫓」お七にした方がいいか。あの人形振りは凄い。人形振りとして巧いのどうのというより、人形振りというものの概念の変更を迫るものだといってもいい。まだな人は是非見るべきだという意味では「一押し」にふさわしいかもしれない。

もっとも、既成概念の変更を迫るというなら歌舞伎座の海老蔵の『藤娘』だってそうだといえないこともない。とにかくあんな『藤娘』は見たことない!

と、いろいろあるのですが、この人たちはどうせこれからもいろいろ候補に出るだろうから、この際相討ちの痛み分けということにして、歌舞伎座昼の部『江戸の夕映』で舟宿網徳の娘お蝶というのをやっている尾上右近を、今月の一押しに挙げることにしたい。

その序幕第二場、築地の舟宿網徳の家の場の幕があくと、寿鴻だ辰緑だ新蔵だ新七だといった連中の勤める船頭たちを相手に、適当に無駄話をしながら大の男どもを見事に仕切っている小娘がいる。まるぽちゃの小娘にはちがいないのだが、船頭たちをちゃんと押さえるだけの貫禄のようなものすら、すでに身に備わっている。だからといって、大人子供みたいにこまっしゃくれているのとは違う。ちゃんと、かわいいのである。

作者の大仏次郎が生きてこれを見たらきっとよろこぶに違いない。しゃきしゃきと生きがよくて、下手な巾着切りの腕ぐらい捩じ上げてしまいそうだ。将来、必ずやいい女将になるに違いない。

誰だろう、と配役を見直す。(こういうことをさせる若手というのはきっと出世するというのは、戸板康二説である。)尾上右近、とある。つまり清元延寿太夫の子でつい去年、役者として立ってゆくつもりか、音羽屋にとって由緒ある右近を名乗るようになったあの子だった。まだ中学生、13歳だと、後で聞いた。

踊りに天分のあることは、何度か舞台を見て知っていた。(今月も『雷船頭』の雷を踊っている。)勘三郎、三津五郎世代以降、名子役というものを何人か見てきたが、まず間違いなくそういったクラスである。べつに先物買いをするわけではないが、末恐ろしいというべきか、末頼もしいというべきか。

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