随談第115回 観劇偶談(その56)

前進座の国立劇場公演の『謎帯一寸徳兵衛』がなかなかいい。この公演が劇団創立75周年だそうだが(狂言半ばに幕前で梅之助のやった「口上」もなかなかよかった。75年の歩みを極端な自画自賛も手前味噌もなくしっかり振り返り、真情がこもっていた)、創立直後の昭和六年と九年にやったきり、72年ぶりというのも不思議なようだが、それだけに、嵐圭史だけがいわゆる第二世代だが、あとは若いメンバーが中心で蘇らせたのが一層新鮮味があり、意義深かった。

圭史の団七、梅雀の徳兵衛、国太郎のお梶・お辰という主役トリオがみな役にはまっているので、芝居の形がゆがまずに明確に見えるのがまずいい。小池章太郎の改訂脚本も取捨選択がじつによろしきを得ていて、復活台本にありがちな曖昧さがまったくない。大鳥佐賀右衛門だの奥女中琴浦だの、ほんとうはこれだけではよくわからない人物も当然ながら出てくるのだが、それがわけのわからなさを助長するようなことはないのは、小池脚本が、上演台本だけでひとつの演劇空間を作ることに徹底しているからだ。「夏祭」の世界を踏まえながらも、それに足を取られていない。渋滞する感じがないのが、復活上演として成功の第一条件ともいえる。

圭史の団七は、ときどき南北劇の様式(というものは、やはりおのずからあると私は考える)からはずれて普通の時代劇のような感覚に近づきそうな危うさもないではないが、それをも含め「色悪」としての「仁」のよさがすべてを救っている。ある種の軽さと、その半面として、悪の凄みを利かせる場合には根の生えたような大きさと、両面が必要なところが難役たる所以であり、今後の課題だろう。

梅雀の強みは、自分の呼吸で芝居を運べることでこれは天性といっていい。それがもっとも端的に現われるのがセリフの息のよさだが、ますます父梅之助を通じて祖父翫右衛門そっくりになってきたのは、もちろん努力も工夫もあろうが、よほど強力な遺伝子に恵まれているのでもあるだろう。徳兵衛の方がタイトルロールなのだということが納得させられてしまう「芝居力」が何よりものを言う。

国太郎はお梶とお辰をきちんと仕分けたところに、努力ももちろんだが芸としての成熟を思わせられる。つまり、よく言う言い方をすれば、役者があがった、のだ。役者としての個性が明確になると、役を演じ分けることが的確にできるようになる。演じ分ける、のでなく、仕分けるのだ。お梶が、二幕目の「団七住居」になると序幕とはちがう「女房」になっているあたりにも、芸の成熟がある。

藤川矢之輔の三河屋義平次、瀬川菊之丞の琴浦(この役ばかりは不得要領な役だ)、山崎龍之介の大鳥佐賀右衛門といった人たちが、ちゃんとツボにはまっていることにも、ご本人たちの努力はもちろんだが、劇団としての成熟を思わせられる。菊之丞は『魚屋宗五郎』でも女房のおはまを好演している。

『魚屋宗五郎』は梅之助の出し物だが、みごとに「前進座歌舞伎」である。

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