随談第124回 観劇偶談(その60)ロンドンの劇評

このほどロンドンで行われた海老蔵と亀治郎による歌舞伎公演を見てきたという人から、ロンドンの新聞に載った劇評をお土産に頂戴したので、読んで見るとなかなかおもしろい。ホテルにあったのをたまたま見つけたということで、当然、このほかにも出た筈だから、あくまでもワン・オヴ・ゼムであって、これひとつでロンドンでの反響の如何を判断するわけにはいかない。そういうことではなく、ふたりの演じた歌舞伎をむこうの人間がどういう風に見、捕らえ、評したかという観点から、紹介がてら書いてみよう。

サドラーズ・ウェルズという劇場で、演目は海老蔵の与右衛門に亀治郎のかさねという『かさね』に、海老蔵の『藤娘』。『藤娘』は先月歌舞伎座で、『かさね』は4月に金比羅歌舞伎で出したばかりの、彼らとしてもほやほやの役々である。

評者はZoe Andersonという人だが(Zoeの“e”の字にウムラウトがついている。何と読むのだろう? アングロ・サクソン系の名前ではなさそうだ)、亀治郎を絶賛する半面、海老蔵には辛辣な点をつけている。何しろ見出しが「Kabuki’s new star is eclipsed」という。つまり亀治郎のために海老蔵という太陽が日食になってしまったというわけだ。宣伝用のチラシや、場内で売るパンフレットをみても焦点ははっきりとEbizo Ichikawa XIに絞り込まれていて、Kamejiro Ichikawa IIは相手役をつとめるための共演者という扱いだから、eclipse という比喩的表現もそこからきている。評者は亀治郎演じるかさねにいたく心を奪われたらしい。日本ではEbizo XIは若い観客を古いart formに引きつけ歌舞伎リバイバルをもたらしたセレブリティだが、しかしこのプログラムでの最上の瞬間は共演者Kamejiro Ichikawa II がもたらした、という具合である。

「与右衛門が恋人のかさねを刺すと、かさねはouter kimonoの袖を下ろしsecond silk robe の腕と肩をみせる。白地に紅い楓の葉の模様が描かれているデザインが血したたったように見える」とか「傷ついたかさねは観客に背を向けて、両膝をそろえたまま土手を滑り降り、絶体絶命のように背を反らせる。Kamejiro IIはそれを一息に演じるが、その動きは大きくしかもやわらかだ」といった表現に、評者の関心のありどころと何をよしと見ているかが窺える。「復讐心に燃えるかさねは、われわれの見守る前でぐーっと背が伸びるように見える」などとも書いている。

Ebizo XI は力強いがKamejiro IIの卓越した流れるような動きには欠けている。逃げるときも脚を高く踏んで駆ける。クレッシェンドはスムーズではないがイムパクトはある、などと評されている。どうやら評者は亀治郎の息の詰んだ、女形ならではのなめらかな仕種に魅了されるあまり、与右衛門のかっきりした仕種には目を向けていない様子である。藤娘にはさらに点が辛く、仕種は正確で首や肩の動きは流れるようにエレガントだが、イメージがヴィヴィッドでなくあまり説得力がないと切り捨てている。

結局、今度のパフォーマンスが文化のバリアを越えたのは『かさね』においてだけで、総合点は星三つというのが、この評者の結論である。

フーム、という感じですかね。

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