随談第127回 サッカー偏痴気論(つづき)

蹴鞠錦(けまりにしき)は前頭5枚目の平幕力士である。前頭5枚目というのは、本場所で上位陣と対戦できる位置である。つまり、プロ入り13年で、三場所つづけて上位力士として本場所に出場できる位置を確保できたのである。(横綱と対戦できる地位にまで出世できただけだって大変なものなのだ。)

もっとも三場所続けてといっても、はじめての本場所出場だった仏蘭西場所では、なにがなんだかわからないうちに負けてしまった。その前のときは道破場所という地方場所で、大事な一番で土俵際でうっちゃられて負けてしまい本場所に出られなかった。マスコミは「道破の悲劇」などといっていっしょに涙まで流してくれた。

なに、本当はプロ入り二年や三年で本場所に出場できたらそっちの方が「奇蹟」なのであって、本場所に出られなくたって別に悲劇というほど大袈裟なことではなかったのだ。それまでアマチュア相撲でそこそこやっていたのが、一念発起してプロ入りした途端、思いもかけない大ブレークになったので、みんな本場所出場がどんなに大変なことなのかよくわからないままに、期待ばかりがふくらんでしまったのである。

つぎの本場所は隣村の韓国川といっしょに自分たちの村で開催してもらえたので、ご当所相撲の役得の特別番付で本場所出場が認めてもらえた。おらが村さの心強さもあってそれなりに活躍もできた。つぎの本場所ではこれより三役として取れるかもしれないと夢がふくらんだ。果たして、痔壺親方の薫陶もあって本場所出場がかなった。(近頃の相撲協会のトレンドと逆に、蹴鞠部屋では力士は日本人で親方がガイジンである)。

本場所前の稽古場で横綱の独逸龍の胸を借りたとき、ぐいっと寄ったら独逸龍が土俵を割った。オッ、これならひょっとするかもしれないぞ、といい気分になった。前頭5枚目の平幕力士だって稽古場でなら一度ぐらいは横綱に勝つこともあるだろう。しかし、一度や二度勝てたからといって、ふつうなら本場所の星勘定にそれを数えたりはしない。

前景気を煽るテレビ予報も、さすがに横綱独逸龍や伯剌西爾丸の強さは知っていたが、豪州盛や黒阿智山の実力がどの程度なのか、知ろうともしないで勝てる勝てると星勘定、ではなく皮算用に明け暮れた。だが対戦して見ると、どちらも前頭筆頭ぐらいの実力はありそうだった。勝てるかもしれないが、勝つに決まってますよ、というような相手ではどう見てもなかった。巨漢の豪州盛には、頭をつけて食い下がり、足癖で一度はぐらつかせたが、勝ち味が遅い悪い癖が出てしまいには上手を取られた。と思ったら投げ飛ばされていた。豪州盛は三十年ぶりの本場所出場だそうだ。それでもこんなに強いのだ。

黒阿智山の親方はダンディだった。わが蹴鞠部屋の親方は、いまの痔壺親方も前の賭留死江親方もその前のオカーダ親方も、どういうわけかおしゃれには無関心な朴念仁ばかりだ。まあ、強い相撲取りになるためには親方の身なりなどどうでもいいけれど。

冷静に考えてみれば、三戦零勝は実力通りの成績だったのだ。蹴鞠錦は実力なりの相撲は取ったのだ。1足す1は2であって、3にも4にもならなかっただけの話だ。蹴鞠錦は土俵の上に仰向けに倒れたまま涙を流したが、実は何もがっかりすることはないのである。

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