「随談随筆」予告とその第一回

こういうタイトルのシリーズを始めることにします。

人もすなる随筆というものをわれもしてみむ、という思いがあります。

エッセイ、というのは、本来、知の試みという意味だそうで、だから、ふつう論文とか試論とかいっているものも、外国語に訳せばESSAYになるのだと聞きました。モンテーニュの随想録、エッセイというのはつまるところあれなのだ・・・ 

これまで続けてきた「随談」が、まあエッセイのたぐいとして、こころにうつりゆくよしなしごと、をそこはかとなく書きつけるような、日本在来種みたいな「ずいひつ」も書いてみたい。タイトルを新たにする所以です。
 

随談随筆(その1)ソリティア

二年前にパソコンをいじるようになってから、悪習がひとつできてしまった。ソリティアというパソコンに入っているトランプゲームである。ご存知の人も多いと思うが、黒札と赤札を交互に組み合わせて、キングから順に数の小さい札へと揃えてゆき、全部の札が開けば勝ち、開かない札が沢山残るほど駄目という、ルールはごく簡単なひとりゲームだ。

パソコンを買った当初、大概の人がそうだと思うが、教則本みたいなものに従って、クリックとはどうの、ドラッグとはこうのと、マウスなる器具のあやつり方を練習するうち、なんとこのソリティアが練習の中に入っていたのだ。それを見た途端、たちまち、ある種の郷愁とともに、何十年かむかしの記憶がよみがえった。

このゲーム、私は小学校入学の前から覚えて知っていたのである。親戚の叔父から、姉と兄を経由して習い覚えたのだった。最初に一定の方式に札を並べた「場」の良し悪しと、そのあと手札を開けていくなかで展開する「運」の良し悪しとの絡み合いで、簡単に全部の札が開くこともあれば、神様にいじわるをされているとしか思えないほど、札がぜんぜん開かないこともある。よければよいで、悪ければ悪いで、後を引く。ギャンブル性が強いのだ。ただし、このゲームの名がソリティアということは知らなかった。

しかしそのときは、なんといってもまだ小学校にも入らない子供だったから、ギャンブルの虜にはならず、しばらく忘れていた。再燃したのは、受験浪人のときだったか大学に入ってからだったか。たまたま見た雑誌のグラビアに、有名な映画監督の山本嘉次郎がこのソリティアをやっているのを、うしろから老妻が見守っているという、老夫婦のなかなかほほえましい写真があった。ほお、となつかしさがこみあげてきた。

それからしばらく病みつきになったのを第二次とすれば、パソコンでの再開以降は第三次ということになる。私は勝負事もギャンブルもやらない。麻雀はソリティアといっしょに叔父が教えてくれたが、その後やらないから忘れてしまった。碁は、去年死んだ従兄弟の上村邦夫は本職の九段にまでなったが、碁将棋については、棋士たちの風格や行状の方にはかなり興味があるが、自分でやろうとは思わない。ソリティアは、ゲームといえばゲームだが、占いともいえる。運まかせ神様任せなところが、私の性に合っているのだろう。

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