随談第133回 昭和20年代列伝(その4)

近頃の愛聴版として、『小沢昭一ごきげん“心の青空”』というCDをよく聞く。「心の青空」をはじめとして、小沢さんがしんそこ“いい”と思うなつかしい歌を、トークをまじえながら自ら歌う、というものである。ここでは“いい”というのは“なつかしい”というのと同義であって、結局のところ、人の心の根底を養っているのは“なつかしい”という言葉に集約される心の働きなのだと、このCDを聴いているとつくづくわかる。

なにより愉快なのは、小沢さんが自分の耳と心に残るかつての歌い手の歌いぶりを、まごころ籠めて再現してくれていることである。声帯模写的再現ではない。といって、自分流に歌い崩すのでもない。「丘を越えて」だったら、真澄の空は朗らかに晴れて、というところを、まーすーみーのそおらはほんがらかにはーれーて、と心を弾ませて歌う。

そう、われわれの耳にもここはそういう風に聞こえていたのだった。そうして、ここはこういう風に歌わなければ駄目なのだ。例の並木路子の「りんごの歌」はここには入っていないが、あれも、リンゴの気持はよくわかる、というところを、りんごーのっきもちいはー、と歌わなければちっともなつかしくない。「ほんがらか」であり「のっきもち」なのだ。

このところ、小沢昭一『流行歌・昭和の心』、立川談志『昭和の歌謡曲』といった本を立て続けに読んだ。ふたりとも、ひとまわり、半廻り上の年代だが、知識の基盤は私もほぼ共通している。しかしその話に入る前に、お二人の本いずれにも出てくる松平晃という戦前派の歌手の名前を見て、あざやかにひとつの記憶が浮かび上がった。

昭和28年の正月といえば、いまのTBSがラジオ東京といって民間放送第一号として放送を始めて二回目の正月ということになる。どういういきさつだったか忘れたが、おしゃれクイズというのと、もうひとつ、題名はいま思い出せないが流行歌をネタにした半分クイズで半分のど自慢みたいな番組と、ふたつの公開放送をいっぺんに見られるという切符が手に入って、母はそういうのが好きだったから、小学生だった私は連れられて見に行ったのだった。放送局といっても、当時のラジオ東京は有楽町にあった毎日新聞社のビルの上の方のフロアに間借りしていて、録音会場もそこにあった。

放送は夕方からだったが、数寄屋橋のあたりへ来ると大変な人だかりがしている。箱根駅伝のアンカーがちょうどやってくるところだった。第一位で来たのは早稲田で、昼田選手というちっとは知られた選手だったが、朦朧として今にも倒れてしまいそうである。カンロクねえなあ、という声が聞こえた。あとで知ったことだが、この昼田選手は意識がなくなったまま何とか首位をキープしてゴールインしたのだが、監督が自分もいっしょに走りながらメガホンで耳元に激励を送ったという、これは箱根駅伝史上いまも語り草になっている椿事であったらしい。つまり、そういう歴史的事件をナマで目撃したわけだ。

さて放送局に着いたが、おしゃれクイズの司会者の三木鮎郎(という人がいましたね。民放がはじまって、こういう放送文化人みたいな人がつぎつぎに登場してくることになる)がなかなかやってこないので、なかなか始まらない。(つづく)

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