わが時代劇映画50選(その6)『竜虎八天狗』(東映)1954、監督・丸根賛太郎

「ジャリ向け映画」の話を続ける。

『竜虎八天狗』はそのあまり有名でない逸品だが、五部作のじつは全編を見ているわけではない。だからこの作をここに挙げるのは、むしろ、何かにつけて戦前文化と戦後文化が混在していた昭和20年代の日本映画の一断面を、子供向け活劇物時代劇に見るための一典型という意味合いでもある。

『笛吹童子』では充分に触れられなかったが、あそこにも、原作者北村寿夫のモダニズムと、尾上松之助以来の活劇映画の思想とが相乗りしていて、反りが合うところと合わせ切れないところとが混在していた。地獄の妖婆に育てられた自然児胡蝶尼という役(高千穂ひづるがじつに適役である)などには、ハウプトマンや鏡花などの影すら窺えそうだし、悪鬼と怖れられる霧の小次郎が、実は胸底にナイーヴな善心を秘めた貴公子であるという人物造形にも、西洋の影を感じさせる。

その反りの不整合をある意味で救い、ある意味で隠蔽したのが、若き錦之助・千代之介の瑞々しさであり、大友柳太朗の霧の小次郎の憂愁のロマン性だった。藤蔓で編んだ架け橋の畚(ふご)渡しとか、肉付きの面とか、霧の小次郎の幻術といった活劇映画伝来の手法は、一方で立川文庫と平仄を合わせつつ、日本的ロマンとでも呼ぶべき、万人の胸奥にまで響きを届かせる魅惑を秘めている。

ふしぎなことに、こうしたロマン性は、間もなく映画隆盛期になりカラー作品が主流を占めるようになるのと反比例するように、時代劇映画の中から薄れていってしまうのだ。

『竜虎八天狗』は、『神州天馬峡』『月笛日笛』など一連の吉川英治の少年小説が原作である。真田幸村の一子真田大助が、天下を奪った徳川家康に、豊臣方の残党とともに立ち向かうという、立川文庫の世界を少しモダンに塗り替えるところに作者の意図があった。猿飛佐助らの真田十勇士に代わる八人の勇士たち、というわけである。

徳川退散をめざして行く先々で、さまざまな縁の糸が結ばれ同志がふえてゆく。三蔵法師が孫悟空以下のお供と出会うのも、桃太郎に三匹の家来ができるのも、鞍馬山を出た牛若丸に伊勢三郎や駿河次郎ら四天王が集まってくるのも、みな基本形を同じくする、力弱い貴種のもとに庇護者のように下層の者が寄り集まるという日本的・東洋的ロマンの「かたち」であって、人と人の関係のコアを思わせる起源神話の末裔である。

真田大助の東千代之介もこの人の佳作のひとつだが、その姉役の千原しのぶが、清楚にして凛とした知性を感じさせて、中学生だった私のひとつの理想的女性像のように思われた。浮世絵風お色気で有名になるこの女優の、あまり人が言わない半面として推奨する。

この映画のもうひとつの面白さは、沢田清、吉田義夫といった二線級の敵役の役者たちの、二線級ならではの魅力である。とりわけ、来喬太郎という忍術使いの役の沢田清が、白面に目張りを利かせた古風なマスクが、もういまの歌舞伎俳優にも見られないような妖しい魅力で忘れがたい。戦前派が見せた最後の底力だったのかもしれない。一方吉田義夫は、このころからその怪異な風貌を知られ始めたのではなかったか。

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