随談第139回 今月の一押し(その4)

今月は候補が三人いる。

ひとりは市川亀治郎である。観劇偶談の(64)にも書いた先月末京都の造形芸術大での「瓜生山歌舞伎」に引き続いての「亀治郎の会」で演じた『奥州安達原』の袖萩・貞任の二役である。くわしい評は今月末に出る『演劇界』に書いたからそれをご覧願いたいが、演技の良し悪しに留まらず、プロデュース的な意味合いまで含めて、これはおそらく年間を通じての問題作となるであろう。

この「今月の一押し」は、第一回のときにも書いたように、ときには洒落や、劇評などでは触れている機会がなかったり、うっかり見落ちしがちな小さな役や、あまり人が言わなかったりする存在など、ともかくなんらかの「遊び」のあるものにしたい、というのが狙いである。もちろんこんどの亀治郎を選んだって差し支えないのだが、じつはこの『安達原』を見ながら、これだ、と思っていた役者が別にある。

安倍宗任の中村亀鶴である。その躍動感、剽悍さ、これぞまさに「奥州のあらえびす」である。まつろわぬ民の荒ぶる魂を、主役の貞任以上に、舞台の上に躍動させる役である。ある意味で、作者がこの作に籠めた真意を体現するのはこの役だと言える。

もちろん、この役はもうけ役である。だれがやっても拙かったという記憶はない。しかし、この役に限ったことではないが、儲け役をひと通りの儲け方しかしてくれないときのもどかしさというものは、なんとも歯がゆいものだ。

これまでに見た宗任というと、まず思い出すのが、どちらも故人になってしまったが、延若であり、羽左衛門である。ふたりとも、片方は壮年期の、片方は円熟期の十七世勘三郎の袖萩・貞任で演じたのだったが、貞任とのバランスといい立派な、錦絵のような素晴らしい宗任だった。今度の亀鶴は、そうした立派さという意味では二人の大家のようなわけにはいかないのは当然としても、舞台の上にまるで一陣のつむじ風が来たっては去り行くような猛々しさと臨場感の点で、この二人と並べて置いても遜色ない。すなわち、これが今月の随一である。

だがもうひとり、三人目の候補としてせめて名前だけでも挙げておきたい素晴らしい役者が誕生した。今月の歌舞伎座で初舞台を踏んだ坂東小吉である。

先達て惜しくも亡くなった坂東吉弥の孫だそうだが、今月第一部の『たのきゅう』で狂言半ばに三津五郎から披露があった。『たのきゅう』でもちゃんと役があって、目がしっかり定まっていていい子柄だと思ったが、これは、と思わせたのは、第二部の『駕屋』で三津五郎(これがまた、大和屋代々独特のすっきりといなせな小品舞踊で素敵である)にからむ犬の役で、三津五郎とちゃんと渡り合う、そのセンスのよさである。(三津五郎はきっと、『鳥羽絵』を小吉と踊りたくなったに違いない。)

吉弥の孫だから小吉、というわけだろうが、勝海舟の父親、つまり「父子鷹」の「父」の名が勝小吉である。いかにも江戸の勇みを感じさせるいい名前だ。祖父の吉弥も、曽祖父の好太郎も、いい孫、いいひ孫をもった。泉下の彼らのためにも喜びたい。

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