随談第149回 観劇偶談(その73)「獅童流森の石松」兼「番外・わが時代劇50選」

 新橋演舞場で『獅童流森の石松』を見た。いろいろな声を聞くが、私はわりに面白いと思った。もっとも、賛否いずれにせよ、獅童の演技のことを言っているのか、芝居の出来のことを言っているのか、判然としないところがある。私がいま、わりに面白いと言ったのは、やや後者の方に比重がかかる。

今度の筋書きの案を思いついたのは獅童自身で、叔父の中村錦之助が1960年に主演した『森の石松鬼より恐い』という映画の舞台版リメークというほどのことであるらしい。第一幕のほとんどは現代、途中からタイムスリップして時代劇になり、最後にまた現代に戻る。錦之助の映画は私は見はぐっているが、この前にさらに、1940年にマキノ正博監督で片岡千恵蔵が主演した『続・清水港』というのがあって、これは、もちろんテレビ放映でだが見ている。

この辺のことは「時代劇50選」の方にとっておいてもいいのだが、番外編としていまここで書いてしまおう。

千恵蔵という人は、戦後われわれがリアルタイムで見ていたころは、重役俳優(本当に東映の重役だったのだ)の大御所として、ありすぎるほどの貫禄で、よく声帯模写で真似されたことさらにボソボソと呟くようなセリフを言い(何を言っているのかよく聞こえないという陰口があった)、重厚という言葉はこの人のためにあるかのような芝居をした。十一代目団十郎だ白鸚の幸四郎だといっても、ことカンロクということにかけてはカナワナイような気がする。とりわけ、次郎長と近藤勇は本人よりもその人そのもののようだった。

ところが戦前の若き日、この人は明朗時代劇という一ジャンルを生み出した、当時の意味でいう「新人」だったのである。この『続・清水港』もその線からきているのだが、そのまた元を糺すとこの人は「芸術派」であって、それは戦後の大御所俳優としても、有名な『血槍富士』だのいくつかの作品でそうした顔を見せている。

ところで大分回り道をしてしまったが、この『続・清水港』の冒頭、次郎長映画の監督として、(脚本が気に入らず髪を振り乱していらいらしている姿というものは、まさしく「芸術派」を絵に描いたようだった)思案に暮れてベンチに寝転がっている内に、いつの間にか夢の中で自分が石松になっている、という具合に本題に入っていくわけだが、錦之助を経由して獅童が借りたのはこのアイデアなわけだ。(最後がまた夢覚めになって、さっきまで大政や小政だった連中が元の仲間になってにっこり笑っている。黒澤映画とイコールみたいなあの志村喬もいる。この人戦前は、千恵蔵とその仲間たちのひとりだったのである。)

自分の発明ではないとはいえ、この構成を借りたのは、「獅童物」としては、自身のシガを隠す上からも名案だった。本来額縁であるはずの現代劇の部分が長すぎるが、俳優たちそれぞれの、現代と時代での配役の落差にひねりが利かせてあるのがいい。しかし獅童は、石松はこれでいいとしても、ワン・パタン化が鼻につかぬ内、脱皮への工夫が必要だ。相手役の高岡早紀は、せっかくの時代劇にも合う顔立ちを、現代風のメークで殺してしまっている。もっと化けなきゃ。化けて、女優としての多面性をアピールしなきゃ。

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