随談第162回 観劇偶談(その77)新派再論

この前新派復権のことを書いたが、本当にこれは、演劇界全体としてももっと真剣に考えるべきことではあるまいか。これは、「劇団新派」という一劇団に関わる話ではない。新派という演劇が、日本の演劇界からなくなってしまってもいいのか、という話なのだ。

演劇史のおさらいをするわけではないが、新派という名称は、もともと、歌舞伎を「旧派」とみなしてそれに対する新演劇という意味だった。やがて歌舞伎を「旧劇」とみなして「新劇」というもうひとつの新演劇が起こったときから、「新派」は「旧劇」と「新劇」の中間に位置するジャンル名になった。新劇にいろいろな劇団や流派があるように、新派にもいろんな劇団や流派があった。それがだんだん細ってきて、新派という演劇ジャンルは「劇団新派」という一劇団とイコールになった。だから、もし劇団新派がなくなってしまったなら、新派という演劇ジャンルが演劇界からなくなってしまうのだ。

新派というと、すぐ『金色夜叉』や『婦系図』や『滝の白糸』が持ち出されるが、そういう、いわゆる新派古典ばかりが新派ではない。新派のもうひとつの黄金時代は、じつは第二次大戦後にあった。昭和二,三十年代、北条秀司や川口松太郎や中野実などといった作者たちがつぎつぎと新作品を書き、花柳章太郎や初代水谷八重子やが舞台化していたころ、新橋演舞場や明治座といった劇場で、毎月のように新派の舞台がかかり、これほど高い水準を保った演技集団はまたとないと思われる演技陣をそろえていた。

『京舞』とか『太夫(こったい)さん』といった名作はその中で生まれたのだが、それほどの名作ではなくたって、これらの作者たち、とりわけ北条秀司という作者の当たり作の打率の高さといったら驚異的といっていい。いまの新派にもしもう少し観客動員に余力があって、常打ちという形での公演が可能だったら、当時作られた佳作たちの幾つかは上演の機会を与えられて、現代の観客をも充分に楽しませ、感動させることもできるはずである。

ということは、裏返していうなら、あたらこれらの佳作たちは、上演の機会を与えられずに、埋もれてしまっているということになる。これは、大変な損失ではあるまいか。そうしてそのことに気がついている人が、どれだけいるだろうか。これはもはや、一新派だけの問題ではない筈だ。

まったく同じことが、かつて新国劇の消滅とともに起こったのだった。ここでも、ことは『国定忠司』や『月形半平太』だけの問題ではない。たとえば『霧の音』のような作を、もうわれわれは見ることはできないのとすれば、これは、日本の演劇にとっての大損失ではあるまいか。

名作は誰がやっても名作たる普遍性をもっているにはちがいない。しかし演技集団としての新派なり、新国劇なりの力があって、それらの作は最もよくその魅力を発揮したのであることも、また間違いない。昨年だったか、菊田一夫の『花咲く港』を新国立劇場で新劇の俳優たちがやったのと、池袋芸術劇場で東宝劇団でやったのとを見比べても、それに見合った土壌に咲かせてこその花であることを、思わざるをえなかったではないか。

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