随談第170回 観劇偶談(その79)『愛の流刑地』

寺島しのぶのエロスが凄いというので評判の映画『愛の流刑地』を見た。渡邉淳一の小説が原作らしく、目のつけどころ、話の展開、人を飽かさないようにできているから、その意味でもまず退屈するということはなく、面白く見た。

たしかに、寺島しのぶは見応えがある。少し前、NHKのテレビのインタビュウ番組に出たのも見たが、質問の受け答えを見ていても、衒いや斜に構えるところがまったくなく、真面目に正直に答えているだけなのだが、その応答にひらめく感性がただものではない。

家族を動物にたとえると、という質問があって、母は黒豹、弟は虎、父は象と答えていた。なるほど、とも思うし、娘の目からはそう見えるのか、とも思う。(菊五郎がエレファント、ねえ。フム、そうか、という感じである。)

映画の愛欲シーンの寺島しのぶは、たしかに評判だけのことはある。その場で口ばしる「殺して」という一句が鍵になるのだから、その場面がダメなら映画そのものが成立しなくなってしまうわけだが、おそらく、監督の求める以上のものがあったのではないかと思わせる。固く、融通の利かないような半面に真実感があるのがいい。去年NHKの朝ドラで主人公の姉で、女学校の教師の役をやっていたとき、黒のスーツに「身を固めた」姿がなかなかよかった。(ああいう、一種の中性に近い格好をすると、菊之助にじつによく似ている。菊之助の『十二夜』の成功の秘密の一端を解く鍵は、もしかするとここらにあるのかもしれない。)

富司純子が最後に実の母の役で出るのも利いている。あそこがあって画龍点睛ということになるのだろう。その他の配役の人選もいい。津川雅彦が、齢をとってから、それまでさほど似ていなかった兄貴の長門裕之と間違えそうなほどになったのも一奇だ。(それにしても、ふたりの十代のころのカワイラシサというものを覚えている者にとっては、その後の彼等の転変というものは、いろいろなことを考えさせられる。)

しかしこれだけ細部にも神経を行きとどかせた映画でありながら、真実味がないのは、豊川悦司の演じる主人公が、十年も作品を書いていない作家にしては神宮前の一等地に、ずいぶん恵まれた仕事場をもっていることだ。まあ、格好いいマンションに住んでいなければ成り立たないストーリイではあるけどね。昔書いた本の印税がよほどいいんだろう。

そういえばいま評判の朝ドラ『芋たこなんきん』でも、藤山直美演じる小説家の書斎の本棚が、一向に利用されている雰囲気がない。別にそういうシーンがなくても、ああ、この人は書棚の本にいつも手を伸ばしているな、という雰囲気があればいいのだが、あれだけ成功したドラマでありながら、惜しむらくはそれが感じられない。

そこで引き合いに出すのは、つい先日見た、昭和31年の日活映画『こころ』(つまり漱石のあれの映画化である)で、森雅之扮する「先生」なる人物の書斎のほんのワンショットを見るだけでも、書棚の本の並んだり積んだりの具合といい、森雅之が机に向かっている風情といい、いかにも、あの「先生」がいつも手を伸ばして本を読んでいるように思われた。原因は役者にあるのか。それとも監督か。それとも道具係りか。

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