随談第177回 昭和20年代列伝(その12)船越英二の死

船越英二が死んだ。私にとっては、むしろ、長谷川裕見子の亭主という方が正直なところで、新聞の死亡記事に「妻は元女優の長谷川裕見子さん」などと書いてある、その六文字の活字を眺めるだけでもなつかしい。長谷川裕見子は十代のころの私の贔屓女優である。

その長谷川裕見子が結婚すると聞いておどろいたのはファンとして当然のことだが、その相手が船越英二だと知って、何だか、へえ?という感じがしたのを覚えている。つまり、その当時の船越英二というのは、画面から見る印象、その役どころからいって、ちょっと一癖ある存在で、すくなくとも高校生(で当時の私はあった)などには、あまり格好のいいスターとは言いかねたからだ。長谷川裕見子の伯父が長谷川一夫で、誠実でなかなかいい男だという太鼓判を押したと聞いて、へーえとおもったものだ。

『金色夜叉』の富山、というのが、そのころの船越英二というとまず思い浮かぶイメージだった。山本富士子がお宮で根上淳が貫一という『金色夜叉』が、その頃としてはかなり評判になったが、そのときの富山が船越英二で、金縁眼鏡の気障なにやけ男というのがいかにもはまっていたのである。(ついでにいうと、そのときの荒尾譲介役が菅原謙二だった。つまりその時点での大映の現代劇としては第一線スターをこぞっての豪華キャストだったのだ。)

もうひとつ、これは名画でも大作でもなんでもなく、たまたま二本立ての一本として見たにすぎないが(この前ちらりと言った、銀座松坂屋の裏手にあった銀座コニーという映画館は、それまで洋画主体だったのをやめて、大映と新東宝を一本ずつかけるようになっていた。美空ひばりのはじめての非娯楽映画というので評判だった五所平之助監督の『たけくらべ』と、たしか一緒に見たのだった。ついでのついでだが、この『たけくらべ』に正太郎役でいまの幸四郎が出て、コットンコーコットンコーと唄を歌ったのを覚えている。これが映画初出演だった筈だ)『新女性問答』という京マチ子と菅原謙二が主演の都会風コメディで、ここでも船越は気障なにやけ男の役で京マチ子に振られるという役どころだった。まあ、まずこの二本の映画の印象が、船越英二という俳優のイメージを私の中で決定づけていたといっていい。金縁眼鏡、というのは鏡花物などでも一種代名詞的な意味合いをもつが、その金縁眼鏡がよくはまる俳優だった。

いま思えば、船越英二は、そうした気障なにやけ男がはまっていたというところに、中・高生の子供にはわからない、当時既に、端倪すべからざる大人の役者として得がたいキャラクターをもっていたのだ。後年マストロヤンニになぞらえられたりした一種のバタ臭さが独特のムードとなっていた。

それにしても、根上淳も高松英夫も死んだし、当時の大映現代劇のスターはこれでいなくなったわけだ。長谷川一夫の一人天下が続いて雷蔵・勝新が入社して時代劇に新スターが揃うより、大映は、現代劇の方がひと足先に新スターよる体制が確立していた。松竹や東映に比べ比較的馴染みの薄かった大映だが、子供だった目には、大人っぽいという印象で映っていた。さてそろそろ、時代劇50選も大映時代劇に取り掛かろうか。

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