随談第186回 観劇偶談(その85)劇団若獅子『国定忠治』

劇団若獅子とは、劇団としての新国劇が解散した後、当時若手ホープだった笠原章が中心になって、志あるものが集って結成した劇団である。今年、劇団結成20周年を迎える。(つまり、新国劇が解散してから、二十年がたったということになる。私のような、決して新国劇のよい観客だったとはいえない者でも、ある感慨を抱かずにはいられない。)

敢えて言うが、苦闘を続けているに違いないことは、その公演日程を一瞥しただけでも知れる。今回は二十周年という特別な年だから、東京での公演は国立劇場を使わせてもらったが、それも土・日二日間、昼夜四興行に過ぎない。3月末から6月末まで、各地を巡っているが、じつは巡っているというより、断続的に公演を行なっているといった方が正しい。大阪では松竹座、名古屋では御園座のような一流の大劇場も含まれるが、多くは各地の文化会館のようなところである。秋には、二十周年記念の第二弾として、『沢田正二郎物語』を三越劇場で五日間、その他各地で行うというが、公演の日程は限られている。

中心となる笠原章にしても、そのほかの座員も協力者たちにしても、普段はいろいろな芝居の脇をつとめている人たちである。自分たちの劇団のために割ける時間もエネルギーも、黙っていればどんどん分散してしまいかねない。よほどの強い意志の持続がなければ、到底できることではない。それを思うだけでも、敬服せざるを得ない。こういう地道な努力を続けている人たちもいるのだということを、せめてこの場でなりと訴えたい。

『国定忠治』を赤城山から、山形屋、大詰の土蔵の捕物まで通しで出すのは、かつての極め付辰巳柳太郎のも見ているが、第三場の「植木村の庵室」の場というのは、じつは今度はじめて見るまで知らなかった。それにしても、久しぶりにこうして通し狂言として見ると、この作がなまじ有名作であるがゆえにかえってその真価を充分に知られずにいる名作であることを、改めて思わずにはいられない。極め付の有名作というものが、それ故に信奉者も出来る半面、それが故に、食わず嫌いや半可通の無視や蔑視の対象となりがちなことは、往々見ることだが、まるで型物のような赤城山から、世話狂言として卓抜な山形屋、新歌舞伎にも比すべき土蔵の場と、近代演劇史を三様に取り込んで絶妙の様式の均衡を示すばかりか、こんど「植木村庵室」を見て、食わせ者とはいえ尼僧という身分のものを斬った忠治が、釘を踏み抜くというアクシデントから運命の歯車が皮肉に逆転してゆく暗示の巧妙さは、ちょいとしたシェイクスピアであることに気がついた。その尼僧の妙真を演じる南条瑞江など、いつもの若獅子の公演で新作を演じるときには気がつかない、これぞ新国劇を支えた脇の役者の底力と唸らざるを得ない。

二十周年の今回は、緒形拳と朝丘雪路が山形屋夫妻の役で賛助出演しているが、もうひとり、川田屋惣次の役で九十二歳という清水彰が出ていて、終りの挨拶で緒方に促されて、役者に歳はありませんと「時代」で言って胸を張ってから、もうすこし頑張りますと「世話」に落として言ったのが、卓抜だった。ご存知ない向きのためにちょいと蛇足を加えると、雷蔵の映画などを見ていると老やくざなどの役でよく見かける老巧な脇役者だが、思えばざっと四十年余のむかしから、この人のちっとも変わっていないことが、胸を突く。

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